| 2005年05月30日(月) |
楽観主義者と悲観主義者 |
「 私は楽観主義者だ。
それ以外のものであることは、あまり役に立たないようだ 」
ウィンストン・チャーチル ( イギリスの首相 )
I am an optimist. It does not seem too much use being anything else.
WINSTON CHURCHILL
楽観主義というと、現実を無視した考え方というイメージが強い。
現実を直視したならば、楽観主義でいられるはずがないというわけだ。
しかし、チャーチルも言っている通り、楽観主義でないことが何の役に立つのかということを考えると、少なくとも 「 悲観主義よりは百倍マシ 」 と思う。
危機感を持つ事も必要だが、何でも悪い風にしか考えられなくて、人を信じたり、愛したり、感謝できない人間が、まともに出来る事は少ない。
常に世の中を斜めからみて、不平不満を並べ立てるばかりの人は、他人に不快感を与える以外に、何の功績を残しているだろうか。
そればかりか、そういう連中が不幸の淵に追い込んでいるのは、他の誰でもない 「 愚痴っている自分自身 」 であることに気付くべきだろう。
怒って泣いて暮らすも、喜んで笑って暮らすも、同じ一生である。
実際、世の中を善くしたり、少しでも他人の役に立っているのは、どちらかというと楽観的な発想を得意とする人物たちであることが多い。
世の中に悲観的な輩が、他人に勇気を与えたり、励ますことなど出来得るはずもなく、もし出来たとすれば、それは偶然か、あるいは 「 嘘 」 である。
そう考えると結局、自分自身の幸福を望み、他人や社会に貢献する生き方を目指すなら、楽観主義であることのほうが現実的だという結論に達する。
悲観主義者の多くは楽観主義者をみて、「 もっと現実を見ろ 」 と鼻で笑うが、いくら世情に長け、知識があっても、役立たずで愚かなのはどちらか。
たとえ手持ちが一万円しかなくても、日々を楽しく暮らせる楽観主義者は、十億円あっても不満でたまらない悲観主義者より、明らかに優れている。
悲観主義に走る原因の一つは、「 自分に自信が無い 」 ということだ。
自信がないから、当座のお金が少ないと不安だし、社内の評価が下がると不安だし、周囲の視線が不安だし、不安なことだらけになる。
プライドが高い割には 「 やってきたことが中途半端 」 で、全体の平均よりは上なんだけど、それなりの人からみれば 「 凡庸 」 だったりする。
だから、たとえばWEB日記で 「 素人相手に 」 知識をひけらかしてストレス解消をはかって、思いがけず 「 玄人から 」 矛盾を指摘されて落ち込む。
そんな人は 「 日記を公開するべきでない 」 のだが、他に手軽なはけ口もなく、専門医以外は話も聴いてくれないので、続けているようだ。
月曜日の朝は、「 自殺ラッシュ 」 である。
欧米でも [ blue monday ] という言葉があり、世界中の気が重い勤め人や、自信のない人間、働きたくない人間が、わんさか死にたがる。
生きている間は、暗い話題、憂鬱な空気ばかりを提供し続けてきた連中が、最後は線路に身を投げて電車を遅れさせたり、飛び降りて道を汚す。
まともな人間、辛いことや苦しいことがあっても、希望を失わずに戦っている人間にとっては、まったく迷惑きわまりない存在である。
さて、貴方は楽観主義者として自分の人生を創作しますか、それとも、悲観主義者として人生を創作しますか、・・・どちらを選ぶのだろうか。
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