「 私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、
自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです 」
オードリー・ヘップバーン ( 女優 )
The greatest victory has been to be able to live with myself, to accept my shortcomings and those of others.
AUDREY HEPBURN
前回の続きになるが、「 適性の不足している人 」 に多くは望めない。
いくら頑張ったところで、「 駄目なものは駄目 」 なのである。
私自身は、けして 「 頭ごなしに否定する 」 考えを持って他人と接しているわけでもないが、それもまた 「 真実 」 なのである。
希望を抱き、挑む姿勢は評価するが、あえて適性の無い 「 苦手な分野 」 に固執する理由など、ほとんどのケースで見当たらない。
たとえば私にも、得意な事と苦手な事がハッキリしており、避けて通れない欠点は克服しようともするが、避けられるものは極力、避け続けている。
それは 「 ありのままに生きよう 」 とすれば可能な話で、適性の無い事柄に多く出会う御仁は、どこかで 「 別の自分 」 を演じようとしているものだ。
無理せず、自分らしく生きれば、そんな 「 不幸 」 を味わうこともない。
つまり、何かの事柄に対して適性の無い人を 「 駄目な人 」 と見下しているわけではなく、他の 「 適性を活かせる事柄 」 に向かうことを勧めている。
企業や、カウンセラーが 「 適性検査 」 を受けさせたりするのは、まさにそのためであり、概ね、その結果には従ったほうが無難だ。
そうすることが、企業にとっても、個人にとっても 「 幸せな結末 」 が予測されるものであり、それに逆らうメリットは少ないはずである。
もちろん、逆境を跳ね除けて活躍する人もいないわけではないが、それはよほど精神力がタフな人物にのみ限られている。
苦手な仕事を与えられて精神を病みましたとか、ミスを犯して叱られたのでノイローゼになりましたとか言ってるような人は、まったく問題外である。
何かの仕事に適性が無くても、他の業務には適性があったりして、ほとんど大多数の人間には 「 その人の長所 」 というものが存在する。
ところが、他人の忠告を無視したり、自分で違和感を覚える業務に固執することで、本来の魅力や才能を発揮する機会を逸する人も多い。
能力や適性が無いことが 「 駄目人間 」 なのではなく、駄目と知りつつ方向転換を講じないことが 「 駄目人間 」 の証なのである。
挙句の果てには、それを苦にして首を吊ったり、「 会社が悪い 」、「 世の中が悪い 」 と他人のせいにするのが、その最たるものであろう。
特に今は 「 人材が溢れている時代 」 なのだから、適性の無い人物に働いてもらう理由など、ほとんど見当たらず、すべて自分の選択責任である。
仕事柄、他人様に就職のお世話をする機会が多いけれど、その際に私が最も気を付けている点も、そういった 「 職業適性 」 という項目だ。
それは、携わろうとする仕事への 「 定着性 」 と 「 満足度 」 について大いに関係する要素であり、ある意味、待遇や仕事内容よりも重要である。
あるいは、当初には問題が無かったのだけれど、働いているうちに適性の合わないことに気付き、脱落していく人たちもいる。
それでも踏み止まり、歯をくいしばって耐えるのも選択肢の一つだが、そうすることに決めたのなら、一切の泣き言を漏らしてはならない。
もし、そこで誰かに 「 辛い、苦しい 」 と弱音を吐いたのならば、潔く選択の誤りを認め、自分らしさを活かす道を探すのが、賢明な措置といえよう。
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