「 誰のことも誉める人を信用してはならない 」
ジョン・チャートン・コリンズ ( イギリスの文芸評論家 )
Never trust a man who speaks well of everybody.
JOHN CHURTON COLLINS
以前、仕事の出来栄えとは 「 質 × 量 」 だと書いた。
実は、他にもう一つ 「 重要な要素 」 がある。
あえて書かなかったのは、それが 「 天賦の才 」 に属するもので、他の二つ ( 質 と 量 ) とは違い、努力して得られるものではないからだ。
勘の良い方はお気づきだと思うが、残りの一つとは 「 適性 」 である。
別の呼び方で 「 仕事のセンス 」 と言ってもいいだろう。
もちろんこれも、ある程度までは経験や学習によって身に付くが、同じように時間を掛ければ、誰もが同じ成長を遂げるとはかぎらない。
この面に関しては、「 教えなくても、最初から備わっている人 」 もいれば、「 いくら教えても、理解できない、成果が挙がらない人 」 もいる。
脱線事故を起こした JR の運転士は、13日間で19回も反省文を書かされていたらしく、その プレッシャー が事故に繋がったと解説する人がいる。
事故後も JR は、能力の劣る運転士に対して、同じように反省文を書かせたり、知識、能力の向上をはかるために再教育を施しているという。
当然、「 乗客の命に関わる問題 」 なのだから、技量が劣るとわかっていながら放置することはできないが、指導方法がお粗末なようである。
それは 「 教育 」 というよりは 「 罰則 」 のような色彩が強く、多少は効果もあるのだろうが、あまり適切とはいえないようだ。
一貫した指導要綱もなく、当日の指導教官の気分によるような主観的判断に基づく再教育というのでは、批判を浴びても仕方が無い。
電車を運転したことはないが、車やバイクや自転車でも、最初から上手に乗れる人もいれば、長く乗っていても要領の悪い人がいる。
運転には 「 適性 」 というものがあるはずで、電車も例外ではない。
適性の無い人を何度も繰り返して教育したところで、おそらくは上達が遅いだろうし、人によっては、ほとんど成長しないことだってあるだろう。
適性の無いと思われる運転士は、「 教育 」 ではなく、「 離脱 」 させることが望ましく、そうしなかった JR にこそ問題がある。
事故の原因が 「 運転士のミス 」 だと決まったわけではないが、13日間で19回も始末書を書かされた運転士に、運転をさせた事実は揺らがない。
JR の再教育 ( 日勤教育と呼んでいるらしい ) を不服として、組合は裁判を起こしたり、しきりに抗議を繰り返しているという。
しかしながら、適性の無い運転士を離脱させることをかばい、運転を続けさせるのも組合の所為であり、他人からみれば 「 目くそ鼻くそ 」 である。
運転士の生活を守ろうとする気持ちはわかるが、それが多くの生命に関わる重大事だけに、適性の無い運転士を放置することなど認められない。
運転士だから運転ができるのではなく、技量と熱意と適性が備わってこそ、運転に携わる資格があるはずだ。
組合側は、その点を十分に反省し、「 すべての職員を一様に擁護する 」 という認識を改めるべきで、そうしなければまた惨事を招く危険がある。
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