Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2005年05月22日(日) 新しい友人



「 男女の間では友情は不可能だ。

  情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない 」

                      オスカー・ワイルド ( イギリスの作家 )

Between men and women there is no friendship possible.
There is passion, enmity, worship, love, but no friendship.

                                 OSCAR WILDE


よく、「 男女間の友情は可能か? 」 について、議論が交わされる。

冒頭の言葉をはじめ、賢人はおおむね 「 不可能 」 という答を出している。


相手が 「 友達以上の気持ち 」 を抱いていると知る異性が、お互いの距離を発展させることもなく、それでも 「 仲の良い友達 」 として会う。

悩み事を相談したり、他愛の無い世間話に興じ、手も握らずに別れる。

それを 「 友情 」 という言葉で示すというのは、たしかに、他人から指摘されるまでもなく、自分でも不自然さや、多少の違和感を感じている。

また、どちらかに野心があったり、あるいはどちらかが 「 若い 」 というだけで、そんな些細な理由で、違う結果に繋がったかもしれない。

そんなものは 「 友情 」 ではないと否定される方に反論はしないが、いづれにせよ彼女に対し、「 友達以上の気持ち 」 を再び抱きはしないだろう。


あの日、彼女の肩を掴んで、私の胸から引き離しながら、顔を覗き込んで目が合ったとき、瞬間的に私は 「 年をとった 」 ことを自覚した。

それは、「 好きな女性と初めてのキスを交わす 」 のには最高の場面であり、千載一遇の好機といえるものだったはずである。

それでどうなるとか、後先のことを考えるのは 「 年寄りの証拠 」 で、けして良心とか、真面目さといった問題ではないように思う。

年をとることを 「 分別 」 という言葉で形容するのは容易いし、たしかに賢者の中には、そのような成長を遂げる人もいるのだろう。

しかし、自分をそのような人間と同列に置いて美化したところで、他ならぬ自分自身を納得させることができず、腑に落ちない点が多すぎる。


それでもやはり、自分は 「 年をとった 」 と感じた。

ただし、「 分別 」 ではなく、「 年をとって臆病になった 」 というのが真相で、前に進む馬力や勢いを、どこかで失ってしまったのだろう。

その後の葛藤を経て、あるいは彼女の落ち着きを待ってから、自分の中で彼女を 「 友達 」 として存続させることが可能になった。

異論のある方もいらっしゃるだろうが、お互いに結ばれることなどなくても、たしかに我々は 「 お互いのために、この世界に存在した 」 のである。

それを 「 友達 」 と呼び、お互いを思いやる気持ちを 「 友情 」 と名付けても、あながち間違ってはいない気がしている。


そんなことを考えている私を、いつもの私らしくないと心配してくださる方もいるが、それほど落ち込んでいるわけでもない。

少々、年をとったのも事実だが、これから先、残された時間もたっぷりあるわけだし、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

これから先もまた、私を 「 男性として 」 必要としてくれる魅力的な女性に、再び巡り会う機会が、きっと少なからず訪れるものと信じている。

もちろん、同じような障壁などなくても、同じ結果に終わる可能性もあるが、それは、体験してみないとわからない。

いつか、この 「 新しい友人 」 に、新しい恋の報告ができるように、再びまた頑張ってみたいと思っている。






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