| 2005年05月14日(土) |
大人から子供へ行って、また未来に |
「 未来というものが一番ありがたいのは、
それは一度に一日しか来ないことだ 」
ディーン・アチソン ( アメリカの政治家、弁護士 )
The best thing about the future is that it only comes one day at a time.
DEAN ACHESON
さて、何をしようか、どうしようか。
胸のつかえが下りた今日、この名言に辿り着いた。
自分の未来は自分で切り拓かねばならないとか、新鮮な気分で何かを始めたいと意気込んでも、なかなか 「 はじめの一歩 」 が踏み出し難い。
理想の未来に向けて、自分がいまやっていることが正しい方角を指しているのか、そのためのステップとして適切なのか、自問自答することも多い。
しかし、実際にはそう焦る必要もないはずだ。
焦ってみても、未来は一日づつしか来ないわけで、明後日のことは明日になってから考えても、間に合う可能性はある。
もしも間に合わないならば、その次に 「 ツケ 」 を回せば済む話で、それも時間切れだというのなら、また 「 別の未来 」 を考えてもいい。
年をとった男は、「 子供 」 に還ると言う人がいる。
きっと、わがままになったり、駄々をこねたり、思慮の浅い行動に走ったり、子供じみた言動が目立つことを指した言葉なのだろう。
病気の女性に、若くして癌で亡くなった母親の面影を重ねたり、同じような青春時代を過ごした同世代だからといって、楽しかった日々を懐かしんだ。
手に入らないものを欲しがったり、挙句の果てには 「 夜泣き 」 までする。
まさしく、( 可愛げのない ) 子供そのものである。
もちろん、実際の子供ほど純粋ではない。
純潔を守って別れたことを 「 潔い 」 だとか、「 爽やか 」 だとか、あるいは 「 良識がある 」 と称えてくださる方もいる。
もちろん、私は 「 良識のある人間 」 である。
裸の中身が 「 おそらく他の女性と大して代わり映えしない 」 ことを承知で、そのために多くのものを犠牲にする気がしないことが 「 私の良識 」 だ。
そんな自分に自己嫌悪を感じながらも、とりあえず 「 思春期 」 は終わったので、今日から 「 大人の仲間入り 」 をさせてもらいたいと思う。
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