「 だれでもある時期、情熱的になることはある。
ある人は30分間熱中できるし、ある人は30日間続く。
しかし人生の成功者は、30年間情熱が続く人である 」
エドワード・B・バトラー ( アメリカのコピーライター )
Every man is enthusiastic at times. One man has enthusiasm for thirty minutes, another man has it for thirty days. But it is the man who has it for thirty years who makes a success in life.
EDWARD.B.BUTLER
仕事の結果を求める計算式は、「 能力 × 情熱 = 成果 」 だと思う。
もっと簡単に、「 質 × 量 = 結果 」 と言い換えてもよい。
やる気に溢れた新入社員は、その仕事に必要な知識、ノウハウ、技術などが未完成なため、情熱だけが空回りしてしまいがちだ。
ベテランになっていくうちに、おのずと能力は備わっていくものだが、今度は情熱が薄れてしまったり、なんとなく限界を感じてしまったりもする。
一般的なビジネスマンの 「 能力 」 と 「 情熱 」 をグラフの図表にした場合、それぞれの成長曲線がお互いに反比例していることも多い。
本当は、ベテランになっても情熱を失わず、能力と情熱の両面がそれぞれ優れている状態こそ理想的で、その状態を長く維持できる人が成功する。
二つを掛け合わせた合計の高い時期が、各人の 「 仕事人生のピーク 」 であって、早熟型とか、大器晩成型とかの違いも、それによるものだと思う。
だから人によっては、20代後半に頂点を迎え、その後は降下してしまう人もいるし、最初は低迷しているのだけれど、定年間近に伸びる人もいる。
相対的な平均値をみると、30代〜40代にピークを迎える人が多いようで、その年代を 「 働き盛り 」 だとか、「 脂が乗った世代 」 などと形容される。
もちろん、仕事というのは人生にとって重要ではあるが、手段であって目的ではないから、それが 「 その人のすべて 」 でもない。
それぞれの人生で、「 あの頃が一番良かったなぁ 」 と感じる時期というものは、必ずしも各人の仕事におけるピークを指すとはかぎらない。
仕事以外にも、健康とか、恋愛とか、家庭とか、生活の様々な要素が絡み合う中で、自分が特に高い価値観を置く要素のピークを挙げる人も多い。
何事においても情熱を持つのは良いことだが、問題はその 「 方向性 」 にあり、方向性を誤るとおかしなことに結びついてしまう。
たとえば、その方向性が法的、倫理的に間違ったもので、「 18歳の少女を監禁して、ハーレムをつくりたい 」 などという情熱では、困ったものである。
そこまでいかなくとも、他人からみると 「 そんなことに情熱を注ぐなんて 」 などと思うものや、あまり感心しない情熱というものもある。
あるいは、自分でも 「 失ってしまいたい情熱 」 というものだってある。
忘れなきゃいけない相手への恋心なども、その一例といえるだろう。
少し前に日記で書いた 「 不倫疑惑事件 」 の後日談を書くことにする。
あのとき、「 もうこの件を日記には書かない 」 と宣言したのだが、気にして下さっている方も多いようなので、詳細を伝えたいと思う。
書く気になったのは、自分の 「 情熱 」 に決着がついたからだ。
今でも彼女のことを好きなことに変わりはないし、好きになり過ぎてもいけない事実に変わりはないのだが、少し状況は変わった。
少なくとも、もう 「 切ない想い 」 をすることはないだろう。
重い話になるので書かなかったが、家庭の問題や、仕事の問題とは別に、彼女にとって大きな悩みとなっていたのは、「 命 」 の問題である。
ようやく昨日になって、精密検査の結果、どうやら問題はなさそうだと安心できたのだが、生命の危険を脅かすほどの因子が、考えられたのである。
自分が死ぬかもしれないという時期に直面して、それまで抑えていた感情や、周囲に対して我慢し続けていた不満が、一機に爆発したらしい。
私のように 「 なんでも開けっぴろげ 」 な人間はストレスが溜まりにくいけれど、我慢したり、普段は不満を言わない人の場合はストレスが溜まる。
どんなに不満や、辛い出来事があっても、常に温厚で親切、素直で明るく、「 良識ある奥様 」 を演じてきた人のストレスは、かなり強かっただろう。
そんな折、「 自分は近い将来、死ぬかもしれない 」 という現実に晒されて、精神的なバランスを崩してしまわれたようである。
周囲のために様々な犠牲を払い、いつも我慢を続けてきただけに、一体 「 自分の人生は何だったのか 」 という憤りも大きかったのだろう。
かといって、不満のぶつけ方や、ストレスの吐き出し方もわからない。
どうしてよいかわからず、様子がおかしくなって彷徨っているとき、たまたまカウンセラーをしていた知人の私が、そんな彼女に気がついた。
もしも、彼女が私の 「 患者 」 とか 「 生徒 」 とか 「 お客さん 」 という立場であったなら、何の特別な感情も持たなかったはずだが、状況は少し違う。
彼女は私と同世代で、育った環境は違うけれど、同じ時期に同じような遊びをして、お互いの昔を知らないのに 「 懐かしさ 」 を感じる間柄だ。
思えばその頃、彼女と似たタイプの女性と交際した記憶もある。
私が彼女に抱いていた感情は、「 同情 」 とも、「 恋愛感情 」 とも決め付け難く、今までにない不思議な感情だった。
昨日までは、それを 「 とにかく切ない 」 という感覚でしか表せなかったが、彼女と話をしているうちに、なんとなく実態が掴めてきた。
たぶん私は、崩れていく彼女を眺めることが、「 自分の一番楽しかった時期が壊れていく 」 ような気持ちで、見るに忍びなかったのだろう。
昔、交際していた 「 元彼女 」 が結婚して、不幸な生活を送っているという噂を聴いた男の気分というのは、こんな感覚じゃないかなとも思う。
少しためらったが、昨日お会いしたときには、私は自分が彼女に抱いているそんな感情を、すべて正直に話した。
冷静に考えると、人妻に堂々と 「 愛の告白 」 なんてするのは倫理に悖る話かもしれないが、私は彼女と違って 「 溜めない男 」 である。
もちろん、彼女が立ち直り、そんなことでは動揺せず、彼女の生活も、我々の友情も、以前の状態を取り戻せると確信したうえでのことだ。
彼女は、また涙を流したが、それは前回とは違った 「 明るい涙 」 で、泣き崩れてハグを求める代わりに、笑顔で 「 ありがとう 」 と言ってくれた。
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