| 2005年05月10日(火) |
切ない胸にサザンが染みる理由 |
「 道徳的なことは行った後で気持ちがよいことであり、
不道徳なことは後味の悪いことである 」
アーネスト・ヘミングウェィ ( アメリカの小説家 )
What is moral is what you feel good after and what is immoral is what you feel bad after.
ERNEST HEMINGWAY
またまた、ヘミングウェィの名言が 「 今夜の気分 」 に合致した。
やはり、つくづく私は、この作家が好きなのだろう。
ここ数年、いや数十年か、涙を流した記憶が、ほとんどない。
目頭が熱くなったり、一滴ぐらいは流れたような気もしないではないけれど、心の中にある嫌な物質を、洗い流すほどの涙を流した覚えがない。
阪神大震災のときや、親が死んだ少し後ぐらいに、ほんの少し泣いたような気もするのだが、はっきりとは思い出せないようだ。
男というのは、それが普通なのだろうか。
あるいは、自分が少し薄情な人間なのだろうか。
「 あのね、部屋に入ったらテレビが点いていて、画面には “ 桜田 淳子 ” が出ていて、TAKA は私に気付かず、一生懸命に観ていたの 」
「 ほお 」
「 でね、私が話し掛けても無視するので、私と “ 桜田 淳子 ” のどっちが好き? って聞いたら、TAKA が “ 淳子 ” って答えたの 」
「 ほお、ほお 」
「 それで、私がテレビを消したら、TAKA が立ち上がって部屋を出て行こうとしたので、“ 怒った? ” って聞いたら、“ 怒った ” って答えたの 」
それが悲しくて、悲しくて、涙が止まらなくなって、「 夢 」 から醒めたら本当に枕が濡れてて、それで 「 目バチコ ( ものもらい ) 」 が出来ていた。
・・・という話を初恋の彼女から聞いたのが、30年近い昔の話である。
私が 「 涙 」 という単語を思い浮かべ、いつも一番に思い出すのがこの話で、切ない乙女心というか、可愛い少女の気持ちが忍ばれる逸話である。
いま振り返ると、何が悲しいかといえば、今ではすっかりオバサンになって、妙な新興宗教にハマった元アイドルを好きだった自分自身が悲しい。
別の問題で初恋の彼女とは悲しい別れをしたけれど、「 夢で泣かせた 」 というのは、私が悪いわけでもないのだが。
死にそうな身内は既に死に絶え、ほぼ仕事は順調で、お金にも困らずに、いたって健康で、そこそこ女性にも縁があり、遊び友達と楽しんでいる。
こんな毎日で、自分のことで 「 泣く 」 理由自体が見当たらない。
もちろん、苦労したり、ちょっと失望したり、クローゼットの角で足の小指を強打したり、何年かに一度は 「 死にたいほど悪酔いしたり 」 もする。
でも、実際に涙を流して泣くようなことにはならない。
それを 「 幸せ 」 と思うか、「 単調 」 と評価するかはともかく、涙とは無縁の生活を送ることに慣れてしまっているのだ。
話は変わるが、私は、あまり 「 サザンオールスターズ 」 が好きではない。
例の 「 けったいな歌い方 」 と、盗作とは言わないが、どこかで聞いたことのある 「 デジャブのような旋律 」 に、どことなく抵抗があるためだろう。
http://www.shonanportsite.com/
↑ HPの掲示板で 「 とんちゃん 」 という方が、このようなサイトを教えてくださり、何の気はなしに覗いてみた。
江ノ島展望灯台に設置された定点カメラからのライブ映像が観られ、BGM にサザンの歌が流れる仕組みになっている。
不覚にも、「 涙 」 が流れてしまった。
たぶん、「 深夜 」 という時間帯と、「 一人の部屋でグラスを傾けている 」 ということ、そしてなにより 「 現在の心境 」 が重なったためだろう。
不道徳なことの 「 後味の悪さ 」 なんて、誰かに教えてもらわなくとも十分に承知しているし、そこに足を踏み入れる可能性など皆無に近い。
それでも、面白おかしく誤魔化しても、切ないものは切ない。
懸命な読者の方々は、「 だいたいのところ 」 をお察しのようだし、その件に付随する物語をご想像なさることもあるだろう。
そのすべてを否定できないが、今回、私がここまで切ない想いをするのには、どなたも知らない別の 「 理由 」 があることも、また事実なのである。
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