「 何もしないことは、悪をなしていること 」
英語の格言
Doing nothing is doing ill.
English proverb
世界中、どこへ行っても 「 ことわざ 」 や 「 格言 」 がある。
似たようなものもあれば、まるで違う文化を表す格言もある。
冒頭の格言に近い日本の格言に、「 小人閑居して不善をなす 」 がある。
正確に言うと 「 日本の格言 」 ではなくて、中国から入ってきた言葉なのだが、「 小人物は暇でいると、とかく良くないことをしでかす 」 という意味だ。
冒頭のは、「 何もしないでブラブラしているのは、もうそれだけで悪をなしている 」 という意味なので、少しニュアンスは異なる。
実は、この違いこそが、日本と欧米文化の違いに通ずるところだ。
今夜はその点について、少し考えてみたいと思う。
欧米人には、「 人間はこの世に生を与えられた以上、世のため人のために積極的に善をなす義務が ( 神に対して ) ある 」 という考え方が主流だ。
日本人の考え方は、より消極的なもので、「 人間は、ただ悪いことをしなければよい 」 というものが主流になっているようだ。
だから、「 他人に迷惑を掛けない 」 という言葉を啓蒙し、積極的に良いことをする必要はなく、ただ無難に人生を送ればよいと思っている人が多い。
大半の会社員は、自分の仕事を大過なく果たすことが最重要とされており、「 勤続○十年 」 とか、「 ○十年無事故運転 」 なんてことで表彰される。
古来より、日本人は 「 人から後ろ指をさされない 」 ことが重要だった。
日本の学校では、教室で先生の言うことを 「 ただ、おとなしく聞いている 」 のが、「 良い学生 」 ということになっている。
アメリカでは、積極的に先生に質問し、意見を言わないかぎり 「 良い学生 」 とは認められず、好ましい評価をされることはない。
質問もしないで、ただじっと聞いている ( doing nothing ) のは、悪い学生 ( doing ill ) なのである。
だから、アメリカ人の教師が日本の学校で講義をすると、学生が何の質問もしないのに驚き、自分の講義に学生が関心を持ってくれないと失望する。
また逆に、日本の教師がアメリカの学校で講義をすると、質問攻めに遭って驚かされ、思ったように講義が進まないことに苛立ちをおぼえる。
JRの脱線事故から二週間が経ち、事故直後に職員がボウリングをしていたとか、ゴルフや旅行に興じていたという報道が、盛んに行われている。
遺族の方々の心情を逆撫でするような話で、まことに遺憾ではあるけれど、重要なことは 「 何かをしていた 」 という問題ではない。
むしろ、「 しなかった 」 ことの責任こそが問われるべきであろう。
ボウリングをしていたり、ゴルフをしていたことが 「 悪 」 だと言うのならば、死者に黙祷を捧げ、涙を流し、ただ謹慎していれば 「 善 」 なのだろうか。
それが現実的に、「 世のため、人のため 」 に何の役に立つと言うのか。
他の電車の運行に必要な最低限の人員を残して、できる限り多くの人員を現場に向かわせ、救出作業を手伝うという 「 選択肢 」 もあったはずだ。
非番の者が声を掛け合い、現場に駆けつけるということもできただろう。
人が多過ぎても邪魔になるだけだという考えもあるが、そうは思えない。
事実、近隣の住民が怪我人の応急処置を施したり、救急車が足りなくて、民間人が乗用車で搬送したりしていたはずだ。
それ以外にも、マスコミへの対処、交通整理や現場での誘導、救助隊員への湯茶サービスなど、間接的にでも役立つ作業はいくらでもあった。
このところ、マスコミのJRに対する 「 批判 」 が問題視されている。
一方的に叩き過ぎだとか、言動が乱暴だとか、たしかにJR側の対応には問題があるけれど、やたらめったら攻撃的になり過ぎているようにも思う。
JRの 「 罪 」 は問われて然りなのだが、報道姿勢を誤ったり、行き過ぎると 「 JRが可哀相 」 などと、頓珍漢な方向に一部の世論が向く恐れもある。
私はむしろ、その点が気がかりで、今の報道に対して懸念している。
どうもマスコミ各社は、少し 「 ピントがずれている 」 ような気がする。
マスコミは、JRの職員に対して、彼らの 「 やらなかったこと 」 を責めるべきで、不謹慎な行為をほじくり出して 「 やったこと 」 を批難すべきでない。
日本のマスコミは、やはり日本人特有の 「 消極的な美徳 」 を重視している風潮があり、「 積極的な正義 」 を重んじない傾向にあるようだ。
イラク戦争にしても、何にしても、「 やった責任 」 を追求するのは得意で、「 やらなかった罪 」 については、ほとんど何も言及しない。
実際には、「 やったこと 」 も、「 やらなかったこと 」 も、「 起きてしまったこと 」 も、「 失われたもの 」 も、元へ戻すことはできない。
だったら、「 いまからでも出来ること 」 を焦点として、JRを叩くなり、国民に呼び掛けるなり、マスコミ本来の役割を果たしてもらいたいと思う。
|