| 2005年05月07日(土) |
夢見ないお馬鹿と、夢見るお馬鹿 |
「 私は大いに運を信じている。
そして懸命に働けば働くほど、運が増すことを知っている 」
トーマス・ジェファーソン ( アメリカ合衆国第3代大統領 )
I'm a great believer in luck, and I find the harder I work the more I have of it.
THOMAS JEFFERSON
幸運を信じないで悲観的に働く人は、幸せになれないものである。
また、幸運が天から降ってくるのを待つだけで、働かない人も不幸である。
前者の場合は、「 働いてもどうせ幸福にはなれない 」 と思っているわけで、そんな考えでいたなら、仮に幸福が訪れたとしても、それに気付けない。
後者の場合も、仮に 「 宝くじに当たる 」 とか、「 思いがけない遺産を手にする 」 などの幸運に恵まれたとしても、それには何の達成感もない。
幸せというのは、手にした幸運の大きさだけではなく、たしかな手応えや、達成感というものが伴ってこそ、真価を味わうことができるものだ。
努力しないで結果だけを手に入れても、その喜びは、正しいプロセスを経て手に入れた人の 「 何分の一 」 にしか満たない。
また、結果を夢みないで働き続ける人の場合は、その労働自体に喜びを見出せないのだから、まったく不幸な話である。
あまり良い結果が出せなかったり、良い結果が長続きしなかった人のほうが、「 プロセスより結果が大事 」 などとよく言う。
私は外資系企業に長く勤めていたので、「 外資では努力より結果が評価されるのでしょう 」 と、よく尋ねられる。
たしかに、「 努力よりも結果を評価する 」 というのは事実であり、「 結果につながらない努力など無意味 」 というのも事実である。
しかしそれは、「 努力しないでよい 」 ということと同じではない。
また、「 正しいプロセスは不要 」 という意味でもない。
継続的に、常によい結果を求めるならば、当然、「 正しいプロセスを踏む 」 ことと、「 努力し続けること 」 が要求される。
それを評価の対象とせず、結果だけを評価するのは、「 間違ったやり方 」 や、「 努力を怠り、手抜きをする 」 人間は、結果に現れるからだ。
数学の問題と同じで、「 計算式が間違ってても、偶然に正解が出る 」 ことなぞ、何度も続かないのが世の常である。
正しいプロセスというのは、数学の 「 計算式 」 と同じで、それを間違って覚えている人は、稀の偶然に恵まれないと正解を出せない。
常によい結果を出し続けている人々は、正しい 「 計算式 」 を認識しているわけで、結果に期待するのは当然だし、式の重要性をわきまえている。
私が営業をしていた頃には、上司から 「 営業にホームランはない 」 という言葉をよく言われた。
地道に、確実に、一歩づつ前進する姿勢こそが重要で、大きな取引を成功させるためには、日常業務を正確に、迅速に処理するように指示された。
今年のプロ野球に目をやると、巨人軍が最下位に低迷している。
ホームランの数は両リーグ合わせてナンバーワンなのに、打率、防御率はともにリーグ最下位で、その結果が順位にも現れている。
一発逆転を夢見る不毛さが、ここに象徴されているような気もする。
プロセスより結果が大事なのではなく、常によい結果を求めるのであれば、正しいプロセスを踏むのは 「 当たり前 」 なのである。
正しいプロセスを踏んでいるにもかかわらず、よい結果が出ないなんてことはあり得ないわけで、もしそうだと言う人がいれば、どこかが間違っている。
あるいは、「 量的に努力が足りない 」 のである。
そんなビジネスマンや、あるいは企業が、世間にはものすごく多い。
だからこそ、我々のような 「 コンサルタント業 」 という事業が成り立つのも事実なのだが、もうちょっと 「 お利巧さん 」 になってもらいたいと思う。
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