| 2005年05月06日(金) |
子供の日の 「 今夜の気分 」 |
「 子供は大人の父なり 」
ウイリアム・ワーズワース ( イギリスの詩人 )
The child is father of the man.
WILLIAM WORDSWORTH
子供が大人の父であるというのは、なんとも逆説めいた表現である。
イギリスではよく知られた言葉で、ことわざのように浸透している。
これは、「 子供の性格をみれば、成人してどんな人物になるかわかる 」 という意味で、ワーズワースの短詩から引用されたものだ。
日本でも、「 三つ子の魂百まで 」 ということわざがあり、「 幼いときの性質は、年を取っても変わらない 」 という意味を表している。
日本の諺は、スマップのメンバーが料理をつくる番組で、誰とは言わないが 「 ものすごく食べ方が下品 」 な人がいるけれど、そういう時に使われる。
つまり、この諺は 「 幼児のときの悪い習慣が一生直らない 」 といった悪い意味で使われることが大半で、冒頭の言葉とは少しニュアンスが違う。
ワーズワースがこの言葉に込めた真意を伝えるためにも、この言葉を引用した短詩 “ My Heart Leaps Up ( わが心は躍る ) ” の全文を紹介する。
My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky ; 空の虹を見るとき、わが心は躍る So was it when my life began ; 幼いときもそうであった So is it now I am a man ; 大人になった今もそうである So be it when I shall grow old, Or let me die! 老いてからもそうありたい さもなくば死んでしまいたい! The child is father of the Man; 子供は大人の父 And I could wish my days to be 願わくば私の日々が Bound each to each by natural piety. 自然に対する敬虔の念によって結ばれんことを!
とまぁ、こんな感じである。
ワーズワースの根本思想には、自然こそが神であり、人間はこの世に生を受けた幼児の頃が、もっとも自然に、すなわち神に近いという考えがある。
ところが成長するにつれて、世の荒波にもまれ、自然から離れていく。
彼は、幼児こそ人間の本源の姿であると語っており、この詩の中にも彼流の幼児崇拝的な思想が込められている。
そこまでは思わないが、たしかにこの詩を読むと、子供の頃の純粋な心を、大人になってからも持ち続けたいと願う気持ちには共感できる。
実際は、子供は親や周囲の大人を理解できず、「 こんな大人になるまい 」 と思いながらも、時間が経てばその “ 仲間入り ” をしてしまいがちだ。
自分が、親の有難みが身にしみるぐらいの年齢になる頃に、自分に 「 親を有難いと思わない子供 」 がいたりして、世の中は皮肉なものである。
アメリカにも、次のようなジョークがある。
By the time a man realizes that maybe his father was right, be usually has a son who thinks he's wrong.
「 父親が正しかったかもしれないなと男が悟る頃になると、 父親は間違っていると考える息子がいるのが常である 」
大人と子供、父親と息子、それらは 「 決着のつかない鬼ごっこ 」 みたいなもので、永遠に追いつくことも、とどまることもできないものかもしれない。
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