「 一つのドアが閉まるとき、別のドアが開く。
しかし、閉まったドアをいつまでも残念そうに見つめているので、
私たちのために開いているドアが目に入らないということがよくある 」
アレクサンダー・グラハム・ベル ( アメリカの科学者、電話の発明者 )
When one door closes, another opens; but we often look so long and so regretfully upon the closed door that we do not see the one which has opened for us.
ALEXANDER GRAHAM BELL
過ぎたことをクヨクヨ悩んでみても、物事は解決しない。
新しいドアを開いて前に進むことが、何より大切なのである。
思い出とか記憶というものの類は、自分が生きてきた証でもあるが、それに執着し過ぎると、マイナスの側面が多いかもしれない。
過去の失敗をはじめとする嫌な記憶にこだわり続けたなら、人生が不幸に思えてくるし、成功や実績にこだわり過ぎると、自慢たらしい人間になる。
嫌な記憶は 「 忘れるにかぎる 」 と人は言うが、お気に入りの記憶もまた、ほどほどに忘れるぐらいが良いのかもしれない。
その向こうに何があろうと、とっくに古いドアは閉鎖され、釘を打ち付けられているのに、うらめしく眺めていたところで、何にもならないではないか。
人の一生は短く、過去にしがみついて生きられるほど、暇もゆとりもない。
カウンセリングをしていると、「 過去のトラウマ 」 を持った人たちの話を聴くことも多いが、彼らには 「 忘れちまえ 」 と言うようにしている。
逆に、「 過去の栄光 」 を引きずる人に対しては、どうしても、誉めてあげたり、持ち上げるような応対をしてしまいがちだ。
なぜならば、人は 「 誉められると喜ぶし、自信を持つ 」 からである。
自信を漲らせ、やる気を引き出したり、行動の動機付けをすることが我々の仕事なので、それ自体は間違った対処法でもない。
しかし人によっては、輝かしい過去こそが 「 足枷 」 となって、前に進めないケースがあることも、また事実なのである。
時間は人を変えるが、周囲の状況も一変させることがある。
過去を見つめている人は、自分の姿だけではなく、まわりの風景や、他の登場人物についても、昔の面影に想いを馳せている。
ビジネスの成功も、「 その時代だから通用した仕事のやり方 」 であるとか、「 その時代だから効力を発揮した知識や能力 」 という事例が含まれる。
自信を持つのは良いことだが、今ではすっかり通用しなくなったスキルを、後生大事に抱えて自慢する人たちは、ちょっと困った存在である。
新しいドアに目を転じるという言葉には、古い記憶を忘れなさいという戒めと同時に、新しい時代への順応が求められるという意味が含まれている。
中高年のビジネスマンと話していると、そのような 「 過去の栄光 」 を鎧にして、現在の自分の立場を認めようとしない人が多いことに気付く。
その度に 「 やれやれ 」 とため息をつき、自分は彼らとは違って進歩的で、ドライな現代人だという自己評価をしてきた。
仕事も恋愛も、日常生活のすべてが、今は昔と違う。
日進月歩で変化する時代に対応して生き抜くには、「 忘れる 」 という能力と、「 時代に馴染む 」 という習性が、不可欠ともいえるだろう。
何かを 「 忘れる 」 のに苦労しているようでは、私も古い人間なのだろうかと、今夜も宵の口から深酒しながら自問している。
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