「 如才のない人というのは、女性の誕生日はいつも覚えているが、
彼女の年齢は決して覚えていない人だ 」
ロバート・L・フロスト ( アメリカの詩人 )
A diplomat is a man who always remembers a woman's birthday but never remenbers her age.
ROBERT.L.FROST
英語の [ diplomat ] を辞書でひくと、「 外交官 」 という訳が現れる。
ときによって、それは 「 如才のない人 」 という意味でも使われる。
WEB日記を書いていると、その内容によっては、他人の批難を浴びたり、茶化されたり、中傷されることもある。
どちらかというと、過敏に 「 そういうこと 」 を気にしない性格であり、自分の書いたものに責任を持つ意味でも、過去日記を削除することはなかった。
しかし、4年間で初めて、ある日の日記の全文を削除することにした。
本来、「 書くべきでない日記 」 だと知っていたが、ある方の愛について書かれた日記に感銘を受け、「 返信 」 のつもりで書いたのである。
その方から、ご覧をいただいた旨のメールをいただいたので、確認のうえ、削除することにした次第だ。
別に、内容が不謹慎だとか、倫理観に背くといったことではない。
削除した理由は、自分で読んで 「 切ない 」 からである。
他人からの評価など気にしないが、自分が辛くなるような日記など、早々と消し去ったほうが得策である。
いつまでも残したり、記憶に留める必要などなく、そこに出てくる登場人物と同様に、「 忘れる努力 」 をすることが肝要であろう。
いささか卑怯な気もするが、「 忘れる 」 ことでしか決着しない恋もある。
一部の方が 「 誤解 」 をされているようなので、補足をつけ加える。
今回の恋は私の 「 片思い 」 であって、自分の気持ちを告白したわけでも、相手から想いを告げられたわけでもない。
だから、それを 「 何かの始まり 」 だと考えるのは誤りで、何も行動を起こさなければ、成就することも、破綻することもない。
その相手とは、これからも頻繁に会う可能性があるが、心の 「 もやもや 」 は墓場まで、密かに持っていくつもりである。
気まぐれで、飽き性の私なら、墓場に辿り着くまでにどこかへ 「 置き忘れ 」 てしまう可能性のほうが、ずっと高いだろうけれど。
私は、たぶん 「 如才のない人間 」 である。
情熱的に恋をしたつもりでも、どこか冷めたところがあって、けして自分が傷ついたり、損をすることがないように計算し、上手く立ち回っている。
なるべく相手のプライドも損ねないように気をつけ、汚い部分から目を反らすようにして、記憶の背景に色を染める如く、美化する心得も知っている。
もちろん、「 引き際 」 も知っているし、危ない橋は渡らない。
それを 「 ズルイ 」 と呼ぶか、「 オイシイ 」 と呼ぶのか、「 如才がない 」 と呼ぶかは人それぞれだが、どれも間違いではないだろう。
経験が多いだけでは、恋の 「 エキスパート 」 ではない。
しかし、「 片思いの恋 」 のほうが、発展するよりも心地良い場合があることを、様々な経験から学んでいることも事実である。
学んでいるからこそ、「 不可侵 」 な領域には、入り込みたくても入れないという習性が、どっぷりと身に付いているのだろう。
自分自身のそんな部分も 「 切ない 」 といえば 「 切ない 」 のだが、これから先も、そんな自分と付き合っていくのである。
安全装置のような、自分の 「 如才のなさ 」 は、これからも私を守り続け、その代償として 「 切なさ 」 を求め続けるのかもしれない。
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