「 他人の過ちから学ぶことが必要だ。
自分でそれらすべての過ちをするほど、長生きはしないのだから 」
ハイマン・G・リッコーバー ( アメリカの海軍工兵将官 )
It is necessary for us to learn from others' mistakes. You will not live long enough to make them all yourself.
HYMAN.G.RICKOVER
なんでもかんでも 「 境遇 」 のせいにし、不平不満を言う人がいる。
あるいは、文句を言わないまでも、それで落ち込んでいる人がいる。
自分は特別な境遇にいるので、「 お前なんかに、俺の気持ちはわからん 」 と、こちらが相談に乗ってやろうとしても、頑なに心を閉ざす人がいる。
病気や、何かの障害や、あるいは家庭の問題などで悩んでいる人の中に、そういった態度を示す人が多いようだ。
カウンセラーという肩書きを持つと、不思議と彼らの態度が変わる。
それは、たとえば 「 傾聴 ( けいちょう ) 」 といったカウンセリングの技能であったり、技術的な工夫もあるけれど、肩書き自体の影響力が大きい。
しかし、それでも話を聞き出せる程度のことで、こちらから差し伸べる助言に対して、真剣に受け止めてくれる人は少ないようだ。
たしかに、特別な境遇にあって 「 それ以外の環境では体験したことのない痛み 」 を抱える人たちと、同じ気持ちになることは難しいだろうと思う。
だが、推測し、思いやり、一緒に考えることはできる。
それを拒絶し、「 お前にはわからんよ 」 と自分の殻に閉じこもっていては、何の解決にもならないし、ますます孤立するだけである。
友人や、家族や、本当にその人の幸せを願っている人々ならば、100%は理解できないとしても、閉ざされた心を開いて話し合うべきだろうと思う。
現代の若者に 「 そういう事例 」 が多いのは、情報化社会とは名ばかりで、「 人間的なコミュニケーションは不足している時代 」 が一因と思われる。
たしかに、機械的なコミュニケーションは、携帯電話やパソコンなどの発達によって、大いに進化し、急速な成長を遂げてきた。
しかし、人間的なコミュニケーションについては、どうだろうか。
人は気持ちを伝えるときに、言葉や文字によってだけではなく、仕草や表情の微妙な変化によって、本当の 「 サイン 」 を送ることがある。
それらを読み取り、相手の感情を汲むという修練が、最近は欠けているような気がしてならない。
文字や言葉にできない 「 本当の気持ち 」 こそが、実は大切なのであって、その 「 やり取り 」 が無い時代だからこそ、心を閉ざす人が増えている。
また、「 人に迷惑を掛けない 」 という意味を、誤って解釈する人も多い。
自分のミスだから、他人に相談したら迷惑が掛かるとか、面倒に巻き込むだけだという気持ちが強いために、自分の中に閉じこもる人もいる。
特に日本人は、「 人に迷惑を掛けない 」 という言葉を絶対的に正しいのだと信じ、その言葉の正当性を疑うことを知らない。
たしかに、嫌がらせのような迷惑は掛けないほうがよいし、自分の出来るところまでは努力するほうが望ましいけれど、それがすべてではない。
時には小さな助力を求めたり、心を許せる相手に多少の面倒をかけるぐらいは、さほど気にするほどのことでもないはずである。
冒頭の言葉の通りに、自分が体験したこと以外にも、人間は多くの事柄を他人から学んでいて、それがあるからこそ生きていけるものである。
同じ体験が無いから 「 わかりっこない 」 などと、決め付けてはいけない。
受け止める側も、「 想像がつかない 」、「 考えたこともない 」 などと、相手の気持ちを慮ることがないようでは問題がある。
カウンセラーという仕事を通じて、私が思うことは、「 どうして、誰にも相談しなかったのか 」 という疑問と、相談できない世の中への憤りである。
人間らしさが置き去りにされる中で、人々の悩みは増殖しているようだ。
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