「 過去には帽子を脱いで敬意を表し、
未来には上着を脱いで立ち向かいなさい 」
クレア・ブース・ルース ( アメリカの劇作家、編集者 )
Take your hats off to the past, but take your coats off to the future.
CLARE BOOTHE LUCE
年長者には敬意を表すが、未来ある若者ほど重要とは思えない。
ましてや、若者の邪魔をする老人ほど、見苦しいものはない。
私の周囲には、「 もう一花、咲かせたいね 」 という老人が多く、野心が強いせいか、ボケてもいないし、年齢のわりには若々しい。
それ自体は結構なことなのだが、「 老いては子に従え 」 という言葉もある。
こちらが敬意を表しているのをいいことに、傍若無人な振る舞いや、過去の栄光を引きずるような 「 高圧的な態度 」 で接してくる人もいる。
年下というだけで、なんの上下関係も無いのに無理難題を押し付け、断ると 「 年寄りを大切にしなきゃいかんよ 」 などと哀願口調に転じる。
年寄り扱いすると怒るくせに、都合が悪くなると 「 年寄り 」 を演じる。
中年というのは、「 年寄りの予備軍 」 なのか、「 若者のなれの果て 」 なのか、はたまた別の存在なのか、なんとも微妙なところだ。
以前、40歳の女性の就職を世話したことがあるが、自分の年齢について彼女は、「 微妙な年齢でしょ 」 と自己評価していたのを覚えている。
女性向けの就職情報誌などをみると、「 35歳まで 」 という案件が多くて、それを過ぎると、36歳も、45歳も、それほど変わらないようだ。
男女とも、この年代は 「 老け具合 」 の個人差が大きく、実年齢でバッサリ振り分けるのは、ちょっと間違っている気もする。
しかしながら、求人する側にすれば 「 なんらかの年齢制限 」 を置く必要もあるので、それを 「 35歳まで 」 にしている企業が多いのだろう。
服装や、見た目の若々しさではなく、「 まだ成長が止まっていない 」 という人は若く、自分で 「 ピークを過ぎた 」 と思えば老けているのかもしれない。
私自身が 「 老けたなぁ 」 と感じるのは、細かい字が読みづらく、老眼鏡が要るので、電車で文庫本を読むのが億劫になってきたところである。
また、その話をした後で、「 視力自体は、今でも 1,5 なんだけどね 」 などと、言い訳がましく説明するところに、さらに中年の悲しさが出ている。
カラオケで 「 ORANGE RENGE 」 などを歌ってみるが、ラップのところが 「 棒読み 」 になってしまうのにも、軽く老いを感じる。
歌い終わった後、そんな気もないくせに 「 そろそろ演歌でも覚えないとね 」 などと、自嘲ぎみに笑って誤魔化すのも、「 ジジイ化 」 の兆候である。
大抵、人間は 「 美しいもの 」 が好きである。
年をとることは 「 醜く 」 なることでもあり、40代で美しい女優さんがいるといっても、所詮は若い娘さんに勝てない。
もちろん、男性も女性も、お互い様である。
旦那が若い女性に見とれていると、「 もうッ、男ってのはしょうがないわね 」 などと怒っている奥様が、「 KINKI KIDS 」 のファンだったりもする。
ただ、すべての男女が 「 若い異性が好き 」 なのかというと、そうでもなく、美しさに見とれるのと、好きになるのとは別問題のようだ。
幸い、まだ白髪も少なく、殆ど見当たらず、先祖の写真を見ても、遺伝的に 「 禿げる家系 」 ではないようで、自分の髪の量は多すぎるぐらいである。
よし、「 まだまだイケる 」 と自信を持ち、颯爽と出かける。
ところが、家を出て電車に乗っているとき、大事な点に気づいた。
父方の祖父も、母方の祖父も戦争で死に、父の兄弟は若くして病死し、母も早くに亡くしたので、我が家の 「 先祖の写真 」 は皆、若いのである。
つまり、「 禿げない家系 」 ではなく、「 早死にの家系 」 なのであって、この先は、禿げることよりも、もっと別の心配をしなければいけないのだった。
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