| 2005年04月18日(月) |
そんなこともわからんのか |
「 知識には二つのタイプがある。 一つは物事を知っていること。
もう一つは、それをどこで見つけるかを知っていることである 」
サミュエル・ジョンソン ( イギリスの詩人、批評家、随筆家 )
There are two types of knowledge. One is knowing a thing. The other is knowing where to find it.
SAMUEL JOHNSON
知識のみならず、誰でも 「 いま持っているもの 」 には限りがある。
だから、生きるには 「 これから手に入れるもの 」 も必要になってくる。
自分はいい大学を出ているとか、一流企業に入ったとか、役職であるとか、そんな 「 過去 」 で勝負することの無意味さは、そういうところにある。
いわゆる 「 履歴 」 なんてものは一過性の権威でしかなく、なにかの拍子に価値が下落したり、ほとんど値打ちを失ってしまう率も高い。
それに対して、品性とか、人格とか、「 その人から奪いようのない資質 」 というものは、人間にとって一生の財産になるものである。
たとえば、「 他人の意見に素直に耳を傾け、なにかを学ぼうとする姿勢 」 もそこに含まれるもので、自分は物知りだと錯覚する人よりも優れている。
古い知識を大荷物のように抱えている人よりも、毎日、少しづつでも新しい発見を繰り返す人のほうが、よほど 「 価値ある知識人 」 といえるだろう。
大昔の百科事典をめくると、月面予想図という頁に 「 タコのような異星人が月面を闊歩している絵 」 が描かれていたりする。
古い知識というものは、時代の変化や、科学の発達などによって陳腐化し、持っていることの意味を消失する可能性も高い。
あくまでも 「 参考 」 程度に留め、時代が変わったら柔軟に修正を加えたり、場合によっては思い切って 「 切り捨てる 」 覚悟がいる。
私は日記の冒頭に 「 著名人の名言 」 を引用しているが、現代に通じるものを選び、そうでないものは捨てるか、反面教師的に使うようにしている。
知識は大切だが、それぞれに 「 賞味期限 」 があると思ったほうがいい。
獰猛な獣も、母性からか、種の保存本能からか、我が子を教育する。
ただ食事を与えるだけでなく、「 猟の仕方 」 を教え、自分がいなくなっても自活できる方法を、きちんと教える習性が備わっている。
わからないことがあったら 「 答 」 を教えるという教育では、お腹が空いたら餌を与えるというのと同じで、その場は解決しても進歩がない。
人間の場合も、すぐに 「 答 」 を求めたり、しきりに聞きたがってくる御仁が多いが、ここで簡単に与えてしまってはいけない。
大事なことは 「 答 」 そのものではなく、それを導き出す思考や、プロセスの正しさにある場合が多いのである。
人間はコンピューターと違い、創造的能力というものが求められる。
単に知識を詰め込むだけなら、機械でも十分に出来る時代になった。
その知識を活用したり、足りない情報をどこかから引っ張り出してきたりすることこそが、人間の与えられた使命となる。
そのためには、現状に満足せず、ましてや 「 自分は賢い 」 などという思い込みに陶酔したりせずに、常に 「 学ぶ姿勢 」 が必要である。
先日、国立大学も出ているのに 「 そんなこともわからんのか 」 と叱責した相手への 「 そんなこと 」 とは、知識の問題ではなく 「 そんなこと 」 である。
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