Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2005年04月15日(金) 留学のススメ



「 一つの国だけしか知らないことは、どこの国も知らないと同じである 」

        セイモア・マーティン・リプセット ( アメリカの政治社会学者 )

Those who know only one country, know no country.

                       SEYMOUR MARTIN LIPSET



英文にも、なかなか 「 味のある文章 」 がある。

引用文の最初の 「 知る 」 と、後の 「 知る 」 では微妙に意味が違う。


前者の 「 知る 」 は 「 普通に知っている 」 ことを表し、後者は 「 深い意味での知る 」 ことを示している。

単語にすると、どちらも [ know ] だが、読み手のほうが二つの異なる意味を理解しながら読まなければならない。

このような 「 言葉のマジック 」 みたいなものは、日本語特有の難しさであると捉えている人も多いが、けしてそんなことはない。

行きもしないで、交わりもしないで、「 ○○人とは、こういう民族だ 」 などと決め付けるのは愚の骨頂で、偏見というより 「 無知 」 に近い。

外国には、日本と違った別の文化や思想があり、どちらが上で、どちらかが劣っているなどと、簡単に言い切れるものではない。


最近の若者に多い 「 引きこもり 」 という現象は、自分の 「 自己認知 」 をはかるうえで弊害のあることが広く知られている。

人間は、他人の姿に自分を投影して、「 自分とは何者か 」 を知ろうとする生き物であり、自分と比較する他人との交流なくして、それは出来ない。

誤った自己認知は、自分への過大評価、あるいは過小評価につながって、仕事をはじめ、日常生活全般への悪影響、精神健康度の低下を及ぼす。

それと同じように、「 日本とは、日本人とは 」 を知る上で、留学や、転勤などの機会を得て、長く海外に駐在することには意味がある。

もちろん、素直な心を失い、偏見と固定概念に凝り固まった人間の場合は、海外経験が豊富だからといっても、真実に気付かないのが実態だ。


だから、できるだけ若く、素直な心を忘れないうちに、海外経験を積ませる ( 具体的に言うと、留学ということになる ) ことには意義がある。

動機は、物見遊山でも、不純なものでも構わない。

目的は、「 国際感覚を身につけるため 」 だけでなく、外側から眺めてみることで、「 もっと日本という国を深く知る 」 ことも含まれる。

私自身も、「 海外を知って、日本を再認知した 」 経験者の一人である。

できれば、短期の旅行ではなく、実際に現地に住み、地元の人々と交流ができるような環境を与えることのほうが、効果的で望ましいと思う。


親御さんにとっては、それなりの費用が掛かるのだから、投資に見合う効果というものがあるのか、その点が気になるのも当然のことだ。

現実的に、「 元を取る 」 という狙いが大きいのならば、英語圏の有名校に通わせて、修士、学位を持ち帰らせるのが一番であろう。

MBAなどを取得し、TOEIC 900点レベルをキープできれば、就職の際には有利だし、将来において離職しても、それなりの仕事でお呼びが掛かる。

見知らぬ異国に我が子を送り出すには、お金以外の心配もあろう。

最近は日本も 「 進んで 」 きたが、性に関する開放度、秩序には差があるので、ウブな子には 「 性教育 」 は施しておいたほうがいいかもしれない。


歴史を振り返ると、「 空海 」、「 最澄 」 など、日本の仏教の基礎を築いた人々は、皆、中国に留学している。

明治時代の多くの指導者は、ヨーロッパやアメリカに留学した。

昔から 「 井の中の蛙、大海を知らず 」 という諺もあるが、井戸の中にいるだけでは、大海どころか、井戸の全容すら見えないのが実態である。

もし、「 投資に見合う具体的な成果 」 が期待できないとか、その後の就職に役立つような有名校に入れないとしても、やはり留学をお勧めする。

人間は 「 他者の視点 」 を持つことで、自分の存在を相対化できるし、他人への配慮も出来るようになるもので、教育手段として適しているからだ。






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