「 美しいものと共に生きたものだけが、美しく死ぬことができる 」
岡倉 天心 ( 評論家、美術史家、思想家 )
He only who has lived with the beautiful can die beautifully.
TENSHIN OKAKURA
大阪の桜は、いまが満開の真っ盛りである。
来週は荒天が続く見込みなので、今日、明日がピークかもしれない。
一年で、ほんの僅かな期間しか咲かない桜の花を、日本人は愛で、それを肴に酒を酌む習慣が長く定着している。
昔は、花見というと梅の花が主流だったそうだが、日露戦争の祝勝記念に全国で桜を植樹して以降、徐々に桜を観る機会に変わってきたらしい。
その壮麗さ、散り際の儚さ、潔さは、日本人の美学に通じるところがある。
軍歌 『 同期の桜 』 は、まさにそれを謳ったもので、「 パッと咲いて、パッと散る 」 なんて思想は、当時の軍国教育にもピタリと適合した。
大学の合格発表を伝える電報にも、「 サクラサク 」 だとか 「 サクラチル 」 なんて符号がよく使われていたものである。
学校教育の観点から捉えると、入学、進学の時期を、現在の 「 春 」 から 「 秋 」 へと変えることが望ましいと私は思う。
欧米と半年 「 ずれる 」 ことで、留学や、帰国子女の受け入れには不便があり、なにかと不都合が多いのである。
それでなくとも少子化で生徒数が減る日本の学校側は、優秀な生徒を海外に取られるという制度を歓迎しない風潮もみられる。
また、「 入学式には桜の風景が似合う 」 という、まことに情緒的な理由から時期を変えられないという意見も多く、逃げ口上に利用されている。
しかしながら、留学制度の改善がなされず、「 東大 」 程度がトップレベルという認識から脱せないようでは、学力水準の向上が望み難い。
今年は、アチコチから 「 花見と称した飲み会 」 に誘われることが多い。
十数年前、世間が 「 バブル景気 」 に浮かれていた頃、やたらと花見やら忘年会、新年会といった飲み会の誘いが多かったことを思い出す。
11月の初旬から忘年会の予約が殺到し、1月の予定は新年会で埋め尽くされていたのである。
笑い話だが、「 これじゃ、12月から新年会をやらないと間に合わないね 」 などという冗談が、日常的に交わされていたりした。
それを思うと、今年の花見が盛況なのは、僅かながら 「 景気の回復 」 を感じさせる背景があるような、そんな気がしないでもない。
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