Tonight 今夜の気分
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2005年04月08日(金) 日本人が守ってきたもの



「 指導者が最後に試されることは、他の人たちに自分の志を実行する

  信念と意志を残して、死ねたかどうかということである 」

        ウォルター・リップマン ( ユダヤ系アメリカ人ジャーナリスト )

The final test of a leader is that he leaves behind in other men
the conviction and the will to carry on.

                             WALTER LIPPMANN



日本はなぜ、太平洋戦争終結後、今日まで平和を貫いてこれたのか。

護憲派の言う通り、「 憲法九条 」 のおかげなのだろうか。


日本の平和を語るとき、大部分の人は 「 外敵から身を守る 」 という視点に重きを置き、それを最初に考えることが多い。

具体的には、日米安保の是非とか、隣国との協調に主眼を持つ。

なかには、闇雲に、妄信的に 「 憲法九条 」 を万能の杖のように語る人もいるが、それはちょっと 「 論外 」 であろう。

先日、ケーブルテレビで 映画 『 日本の一番長い日 ( 67東宝 ) 』 が放映されていたので、何度も観た映画だが録画しておいた。

今日、時間があったので、懐かしみながら鑑賞した。


この映画は、昭和二十年八月十四日から、十五日 ( 終戦の日 ) にかけての、激動の24時間をドラマチックに描いた名作である。

既に 「 ポツダム宣言 」 を受諾し、終戦は決まっているのだが、それを将兵や、一般国民にどう知らしめるか、政府首脳部は悪戦苦闘する。

ご存知の通り、日本の軍隊というのは 「 猪突猛進型 」 で、退くことを教えなかったばかりか、弱気の姿勢を全面否定してきた。

事実、八月十四日の夜にさえ、帰還することのない 「 特攻機 」 は出撃し、日本の勝利を信じる国民は、皆、歓喜の声でそれを見送っている。

日本が戦争に負け、「 無条件降伏 」 することなど、一般の国民は誰一人として、想像もしていなかったのである。


軍部の中には、「 負けるだろうな 」 と思っていた人間が少なくない。

しかし、彼らは彼らで、「 本土決戦 」、「 玉砕 」 という末期を予測していたので、日本列島に敵軍が上陸する前に降伏するとは、考えていなかった。

事実、広島、長崎に原爆を落とされた後というのは、「 退きどき 」 としては遅すぎる決断で、国民のためというには中途半端な時期であった。

降伏の指示を不服とする青年将校たちは、どうせ負けるのなら、本土決戦を敢行し、せめて一矢を報いたいと、クーデターを画策し 「 決起 」 する。

決起した彼らが狙いをつけたのは、「 玉音盤 」 である。


玉音盤というのは、天皇陛下の 「 玉音放送 」 を録音したレコードのことで、十四日に収録し、宮内庁で保管され、翌朝、放送局に届けられた。

有名な 「 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み〜 」 で始まる玉音放送は、ともすればクーデターで奪われ、放送されなかったかもしれないのだ。

玉音放送が流れてしまうと、いくら軍部が決起して戦争を続けようとしても、国民の支持は得られず、すべてが 「 万事休す 」 となる。

それを守ろうとした宮内庁、放送局、軍の首脳部らの努力により、玉音盤は無事に放送され、八月十五日正午、戦争は終わったのである。

映画なので、脚色された部分もあるとは思うが、その日の正午に自決した将兵が多数いたことは、歴史上の揺るぎない事実として記録されている。


玉音放送の中に、「 堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かむと欲す 」 というくだりがある。

現代的に訳すると、「 ( 天皇として ) 耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで、将来のために平和を実現しようと思う 」 という意味になる。

日本は戦後、周辺の国々から疎まれながら、軍隊を持たずに、平和国家を謳い、請われればODAを援助し、あらゆる平和的努力を続けてきた。

それをよいことに、特に韓国、中国は 「 あらゆる難癖 」 をつけて、日本の法律や、文化、教育の面にまで、繰り返し干渉を続けている。

普通の国なら、「 我慢も限界だ、いい加減にしろ 」 と怒るところだが、何を言われても友好的に接し、けして怒りを露にすることはない。


私は、戦後の日本人は 「 憲法九条 」 ではなく、天皇が玉音放送で語った 「 堪え難きを堪え、忍び難きを忍び 」 を守ってきたように思う。

何を言われても、「 日本が 」 言い返さずに堪えることが、アジアの平和を実現する手立てであることを、天皇は予見していたのではないか。

逆に言うと、勝敗はともかくとして、「 日本さえ、その気になれば 」 いつでも戦争を起こすことはできたようにも思う。

最近の若者は、「 堪えることが苦手 」 だという。

玉音放送の何たるかを知らない世代が、時代の中核を担ってからも、隣国の姿勢が変わらなければ、憲法がどうだろうと戦争になるような気がする。






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