Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2005年04月05日(火) 走る狂気



「 ここに運転を習いにくる人はいませんよ。

  運転免許証だけを取りにくるんです 」

                    ジャック・ラビオ ( パリの教習所経営者 )

People don't come here to learn to drive.
They come here to get a driver's license.

                               JACQUES RABIO



自動車教習所へ行き、実技の指導を受け、試験所で学科試験を受ける。

ある程度の学力と技量さえあれば、誰でも車を運転できるようになる。


仙台のアーケード街に暴走車が突入し、6人が死傷する事件が起きた。

運転手は、「 自殺をしたい 」 という理由で凶行に及んだそうだが、一般の人間には 「 なぜ、無人の海ではなく、商店街なのか 」 という疑問が残る。

自分が死にたいだけなら、他人を巻き添えにしなくても、別の方法があるではないかという風に、考えられるからだ。

もちろん、それは 「 正論 」 なのだが、そう上手くはいかない。

自殺企図者というのは、「 他人の迷惑 」 など眼中にはなく、自分の都合しか考えない人間なので、そのような期待は薄いのである。


少し前の事件だが、3歳の娘と、生後半年の息子を連れて線路に侵入し、無理心中をはかった母親がいた。

ご存知のように、3歳ぐらいの女の子というのは、一番可愛いものだ。

結果、赤ん坊は軽症で済んだが、母親は意識不明の重体、3歳の女児は 「 右腕を切断する 」 大怪我を負った。

命は取りとめたものの、この子は、たとえ狂人といえども 「 自分の母親に、片腕をもがれた 」 のである。

テロや、戦争や、天災や、凶悪な犯罪が数あれど、いたいけな3歳の女児から、実の母親が片腕を奪うほどの罪悪が、他にあるだろうか。


それでも、「 自分の命なんだから、自殺するのは勝手だ 」 といえるのか。

基本的に、自殺という行為には 「 異常な精神状態 」 が伴っているわけで、自殺企図者と善悪を議論したところで、何の解決にもならない。

ただ、このような悲惨な事件、罪のない者を巻き添えにする事件を少しでも減らすために、僅かながら 「 対策 」 はあるように思う。

それは、たとえば 「 車を使って自殺しようとする人間 」 に対して、論理的に諭し、思い留まらせることではない。

もっと確実で、効果的な方法が他にある。


それは、「 精神に異常が見受けられる者に、運転をさせない 」 という手段であり、同様の被害を未然に防ぐためには、必要なことだと思う。

あるいは、人権問題などを理由に反対する人がいるかもしれないが、自動車の持つ 「 殺傷能力 」 というものを考えると、ごく当たり前のことだろう。

精神病というものには、突発性の症例もあるが、自殺を企図する前段階として、その人の異常性に関する 「 予兆 」 というものが必ずある。

仮に法制化が無理だとしても、「 予兆 」 に気付いた周囲の人間が、本人に運転する機会を与えないようにするとか、なんらかの方法はあるだろう。

万が一、静止を振り切って車で出かけたら、即座に通報して警察で捕らえるなどすることが、場合によっては 「 本人を救うこと 」 にもなる。


病気に対する偏見を助長するとか、差別的で人権侵害だという見方もあるだろうが、「 権利を奪うことが、本人の生命を救う 」 ことも有り得るのだ。

本来なら、精神科に通うなどして、「 自分は心の病である 」 と自覚した時点で、自ら運転を自重するなり、免許証を一時返納することが望ましい。

もちろん、運転を続けることは 「 法で認められた権利だ 」 といった主張も間違ってはいないが、最悪の結果というものも想定する必要がある。

コレラや、ペストや、インフルエンザなどのような伝染性の強い病気に感染した人が、「 人ごみに出かける 」 ことも、自由といえば自由である。

しかし、わずかでも 「 良識 」 のある人間なら、他人に自分の 「 病害 」 が及ぶことを避けるために、自分の 「 権利 」 は、一時的に放棄するはずだ。






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