「 やることを誰よりもたくさん抱えていて、働く気のある人が、
最もたくさんの時間を見出すことになる 」
サミュエル・スマイルズ ( イギリスの著述家、社会改良家 )
Those who have most to do, and are willing to work, will find the most time.
SAMUEL SMILES
この三連休、旅行やレジャーを楽しまれた方も多いだろう。
あるいは、日ごろの疲れをとるため、ゆっくりと過ごされた方もいるだろう。
たまに、「 理想的な余暇の過ごし方 」 について、質問を受けることがある。
それは 「 人それぞれ 」 の問題なので、何が正しいとか、何が理想的というものではない。
余暇というと、すなわち 「 仕事以外の時間 」 だと早合点する人も多いが、正しくは 「 やりたいことをする時間 」 のことである。
それが自分の本職としている仕事であろうと、趣味であろうとかまわないのであって、仕事と対比して余暇を考える必要はない。
仕事相手が休んでいるときこそ、電話や訪問に振り回されず、自分の仕事に打ち込め、スムーズにはかどるから 「 働き時 」 とみなす考え方もある。
ただ、「 仕事以外にやることがない 」 というのも淋しい話だし、同じ成果を得るために他人よりも長く働くようでは、「 能力が低い 」 気もする。
それよりは、趣味やら、遊びやらの体験を通じて、なにか新しい発見をしたり、世の中の変化を肌で感じたりするほうが、有益なようにも思う。
日ごろの運動不足を解消するため、スポーツに参加するのもいい。
既婚者なら、自分を支えてくれる大切な家族や、独身者なら恋人のために、楽しい旅行やレジャーを企画するのも、意義深いことである。
そんな場合も、けして 「 義務的 」 に捉えず、「 やりたいこと 」 という認識の下に、実行することが望ましい。
仕事でも遊びでも、余暇に心置きなく 「 やりたいこと 」 ができる人は、普段の能率が良いわけで、また、「 気持ちの切り替え 」 が巧い証でもある。
残業を持ち帰って、余暇を処理に充てていることは、けして自慢にならず、むしろ 「 恥じる 」 べきかもしれない。
前項で述べたように、余暇に仕事をすること自体は悪くないが、普段の遅れを取り戻すための補填という性質の仕事では、少し情けない気がする。
余暇の持つ 「 自由度 」 を活用し、斬新で独創的なアイディアを盛り込んだ企画を練るとか、もっと創造的な作業に充てるのなら、仕事もまた楽しい。
世の中がいかに不公平であっても、時間だけは誰にでも平等に与えられるものであり、「 自分の時間 」 をつくり出すことは、一つの能力ともいえる。
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