「 自分の意欲をかき立てることができない人たちは、ほかの才能が
いかに感嘆すべきものであろうと、凡庸に甘んじるしかない 」
アンドリュー・カーネギー ( アメリカの実業家 )
People who are unable to motivate themselves must be content with mediocrity, no matter how impressive their other talents.
ANDREW CARNEGIE
30歳で製鉄業を始め、億万長者になった立志伝中の人物である。
19世紀後半〜20世紀初頭の人だが、そのビジネス哲学は現代に通じる。
物を落としてしまったとしても、それだけの被害で済む。
しかし、「 やる気 」 を失ったら、すべての行動のブレーキになる。
学歴や職歴など、いくら過去の実績を自慢したところで、「 やる気 」 の無い人間に出来ることなど、たかがしれているのである。
また、本人は 「 自分の仕事は責任が重い 」 と思っていても、そんな人間を周囲がアテにしたり、期待し、信頼することなどあり得ない。
ビジネスのみならず、スポーツの世界などでも、多くの人間は 「 やる気 」 を失ったときが、実質的な引退であったり、選手生命の終焉となる。
スポーツ選手が厳しいトレーニングに耐えられるのも、真面目な受験生が一生懸命に勉強するのも、「 やる気 」 につながる内的な強い欲求による。
つまり、「 オリンピックで入賞したい 」 とか、「 あの会社に入りたい 」 というような 「 やる気 」 が、行動よりも先行するものなのだ。
だから、技術を磨いたり、仕事量を増やしたり、勉強して資格を取ることよりも、自分の心や意志を鍛えたり、希望を持つことのほうが大事である。
まったくの無責任でも困るが、ビジネスでは 「 責任感 」 だけで解決できるような事柄は少なく、それよりは 「 情熱 」 のあるほうが期待できる。
厳しい、辛いという視点でしか仕事や社会を眺められない人は、結局、自分の目的と社会の目的が一致しないので、生きる価値すら感じられなくなる。
最近は、自分の怠慢を他人のせいにしたり、環境の責任にする人も多い。
失敗や技能不足など、自分の責任を厳粛に受け止めることがなかったら、いつまでたっても問題の解決にならない。
また、物事を常に否定的な面から見ていたら、そこからは何も生まれない。
さほど年寄りでもないのに、この 「 非生産的な考え方 」 を払拭できない人がいるということは、実に不幸なことである。
そんな考えでいたら、やる気を失い努力もしなくなるので、他人の役に立つどころか、自らの途を開くにもほど遠い。
けして 「 楽観的になれ 」 とは言わないが、他人のあら探しをしたり、社会を否定的な視点で捉える習慣の多い人は、少し気をつけたほうがいい。
あるいは、普段の生活で 「 疲れた、何もかも嫌になった、俺はもうだめだ 」 などという言葉が口癖になっている人は、さらに注意が必要だ。
激動する社会に正しく対応し、明るく生きていくためには、否定的な視点を固持していると 「 大事なことを見過ごしてしまう 」 という恐れもある。
社会や政治や環境に 「 完璧 」 などあり得ないわけで、その落ち度や欠点を否定的に指摘することなど、よく考えてみると、難しいことでもない。
いくら難解な論拠を引っ張り出してきたり、薀蓄のある言葉を多用したりしたところで 「 ただの悪口 」 に変わりはなく、ほとんど意味の無い作業だ。
すべての人間には 「 心 」 という厄介なものがあって、一度ねじまがったり、歪んだりすると、なかなか元には戻らない。
それでも、時間をかけ、少しづつ努力することによって、心の歪みを元へと戻したり、否定的、悲観的な性格を改善することはできる。
たとえば、特別に愉快なことなどなくても、「 今日は何の事故もなかった 」、「 三回の食事にありつけた 」、「 仕事に打ち込めた 」 と感謝してみよう。
たったそれだけのことで、世の中の 「 マイナスしか見えない 」 という性格が改善され、ささやかな幸せを体感することで、未来への希望も生まれる。
社会を否定的に観察する視点を、未来への希望に対する 「 知的好奇心 」 に移せば、必ず 「 やる気 」 が戻ってきてくれるはずだ。
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