「 真実の愛とは、永遠に自分を大きくしていく体験である。
ちょっと人を好きになることではない 」
M・スコット・ぺック ( 作家 )
Real love is a permanently self-enlarging experience. Falling in love is not.
M.SCOTT.PECK
簡単な構文だが、なかなかに意味深いものがある。
単語では、[ enlarging ( 大きくする ) ] あたりを使うところに個性を感じる。
今年の 「 ホワイトデー 」 は、久しぶりに散財する結果となった。
先月の 「 バレンタインデー 」 が久々の 「 大漁 」 だったせいだが、大半は 「 義理チョコ 」 程度のものである。
ついでなので、「 義理チョコ 」 さえくれなかった人にも、普段から少なからずお世話になっている女性へ、とりあえず粗品を差し上げておいた。
こうしておくと、「 誰がくれた、誰がくれなかった 」 などと、いちいち覚えておかなくてもすむので、方法としては気楽なのである。
中年にもなると、これも盆や正月と同じ 「 季節行事の一つ 」 みたいなもので、ドキドキしたり、ワクワクするような愉しみではない。
ある 「 粋人 」 いわく、「 恋は下心 ( シタゴコロ )、愛は真心 ( マゴコロ ) 」 なのだそうである。
なにやら哲学的な講釈のようだが、とても簡単な話。
漢字の 「 恋 」 は、下のほうに 「 心 」 があるので 「 下心 」、それに対して 「 愛 」 は、真中に 「 心 」 があるので 「 真心 」 という ユーモア だ。
さらに言うと、「 浮気 」 や 「 不倫 」 の漢字には、どこにも 「 心 」 が無い。
思い当たる人には気の毒だけれど、どうやら、そういうものらしい。
あまり 「 ホワイトデー 」 に関心はないけれど、魅力的な女性には、いまでもドキドキ、ワクワクするし、たまに 「 恋 」 もする。
なにを基準に 「 愛 」 か、「 恋 」 かと尋ねられると返答につまるが、正直に申し上げると、やはり私の場合は 「 下心で始まる恋 」 が多いようだ。
開き直るつもりはないが、それで 「 何が悪い 」 という気もする。
最初は下のほうにある心が、だんだんと真中に寄ってくるならそれも良し、さらに降下したり、消滅したりすれば、それも 「 縁 」 と割り切るしかない。
あるいは、ひょっとすると、お互いの下心が 「 イーブン 」 な状態こそが、「 愛 」 の始まりなのかもしれない。
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