「 状況がタフになると、タフな者が道を切り開く 」
ジョン・F・ケネディ ( アメリカ合衆国第35代大統領 )
When the going gets tough, the tough get going.
JOHN.F.KENNEDY
自分の不幸を他人のせいにすることほど、時間と労力の無駄遣いはない。
自分の人生に影響を及ぼせる者などなく、及ぼす者もいない。
それでも、どうしても 「 自分を不幸に陥れた犯人 」 を探し出したいのなら、周囲を見回す必要などない。
あなたを一番困らせているのは、毎朝、鏡の中で化粧をしたり、髭を剃ったりしている人物である。
だから、不幸な人間の一部は、「 鏡に映る人物 」 を消し去ろうとする。
そう考えると自殺とは、ある意味 「 殺人 」 なのである。
いくら他人を責めて気を紛らわそうとしても、悲しいことに、その事実は本人が一番よく知っていて、自分以外の誰も 「 解決 」 することはできない。
心理学者や精神医学者によると、「 自分が幸せだと感じている人 」 は全体のわずか 20% しかいないそうである。
しかしながら、その 20% が 「 恵まれた人々 」 かどうかはわからない。
逆に、残りの 80% が 「 救いの無い人々 」 かどうかもわからない。
幸せとは、自分の心で感じるものなのだから、他人がどのように評価をしてくれようとも、それで決まるものではない。
私自身は、よくわからないけど 「 まぁ、幸せかな 」 と感じている。
自分は 「 幸せです 」 なんて笑顔で言って歩くと、なんとなく馬鹿っぽい。
逆に、恵まれた様子でも 「 不幸なんだよ 」 と暗い顔をすれば、ある意味、物事を深く考える知的な人といった印象を受ける。
だから、「 ポーズ 」 として不幸を気取るのは、あながち悪くもない。
しかし、不幸なことが起こると思ってばかりいると、不幸な出来事ばかりが心に残って、心を病んでしまう危険が大きい。
そんなことを 「 思ってはいけない 」 と自分に言い聞かせていると、いつかは、そんな気分から抜け出せるものである。
年寄りの一部は、「 今の若い者は 」 というけれど、どんな時代にも立派な人はいたし、それと同じくらいの数、ダメな人もいたはずだ。
しかし、「 総体的に 」 というマクロ視点で考えるなら、たしかに戦争の苦難などを体験した 「 タフな時代 」 には、タフな人物が多かったかもしれない。
時代が求める苦難に対し、「 耐性 」 の無い人物は、タフな状況下では誰にも保護されず、存続できる可能性が低いからだ。
敗戦から立ち直り、社会が成熟して、弱者を救済する余裕が生まれ、福祉や人権擁護などの仕組みが整い、「 タフな時代 」 は終わりを告げた。
それでも、自分を 「 不幸だ 」 と感じる人が多くを占める原因は、あまりにも多くを望みすぎているか、それぞれの気持ちの 「 持ちよう 」 にある。
けして 「 誰が 」 ということではなくて、今はけして 「 タフな時代 」 ではないけれど、巷には 「 病んでいる人 」 が多い。
幸せは、健康であってはじめて、感じることができる。
肉低的健康、知的健康、精神的健康など、なにが欠けても難しい。
予防するには、体を鍛え、頭を鍛え、心を鍛えなければならないのであり、すぐに病気したり、学ばなかったり、つまらないことで悩んではいけない。
現代は、「 時代がタフになった 」 のではなくて、あまりにも多くの人々が 「 軟弱になってしまった 」 のではないだろうか。
けして、そういう人物に 「 悲観的な結論を告げる 」 つもりはない。
もしも、この日記をそういう人が読んでいるのなら、不平不満を繰り返して、心を狭くし、他人や社会を羨んだり、恨むことを止めるように伝えたい。
人間は誰でも、自分が思っている以上に 「 自分を変える力 」 を持っているものであり、気持ちひとつで不幸にも、あるいは幸福にもなれる。
そのために必要不可欠なのは、とにかく 「 素直になり、他人の忠告を聞く 」 という作業であろう。
自分が一番 「 聞きたくないこと 」 を言う人が、大切なことを教えてくれるという事実を謙虚に受け入れ、前向きに生きることが大事なのである。
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