| 2005年03月08日(火) |
何事も 「 面白さ 」 が重要 |
「 きちんと整った家には、面白味のない人間が住んでいるものだ 」
作者不詳
A neat house has an uninteresting person in it.
ANONYMOUS
最近の世の中は、景気が良いのか悪いのか、ちょっとわかり難い。
経営者の姿勢も、前向きなのか後ろ向きなのか、不明なところが多い。
今年になって、企業のトップから 「 お金は出すから、独創性のある新事業を考えて欲しい 」 というリクエストを、立て続けに受けている。
本来なら 「 経営者なんだから、自分の責任で考えなさい 」 と言いたいところだが、そんな相談に乗ってあげるのも、自分の仕事の一部である。
それに、自分自身が 「 そういうことを考えるのが大好き 」 な性分でもあるので、嬉々として話に加わってしまうのだ。
昨夜も遅かったのに、今日も先方の会議に顔を出し、その流れで酒席を転々とし、深夜の帰宅となった。
面白いことを考えていると、時間を忘れ、疲れも気にならないものだ。
会議の冒頭は、あまり愉快な内容ではなかった。
前回の会議で、ちょっとした 「 冒険的なアイディア 」 を出したところ、その企業の経営者をはじめ、幹部連中に好評をいただいていた。
なかでも、メンバーの中では比較的に 「 感性が若い 」 と思える50代前半の幹部が、ずいぶんと乗り気になり、会議後さらに個別の会談をもった。
今日は、その幹部が前回の私の提案を企画書にまとめ、ちょっとした事業計画書の装丁にし、ご披露してくれた。
それを見た私に、彼が感想を求めてきたので、次のように答えた。
「 うーん、“ オッサン ” の発想ですね。失敗です。やめましょう 」
失礼ではあるけれど、そう答えるしかない。
それは、たしかに 「 投資家 」 に対しては、ある程度の説得を促す内容へと加工されていたけれど、リスクもない代わりに、何の面白味もない。
こうやって資金を調達し、こうやってロスを防ぎ、こうやって・・・
それは正論であり、あるいは正攻法でもあり、どこも間違ってはいないのだけれど、問題は 「 面白くない 」 という致命的な欠陥にある。
それを 「 感性の問題 」 と言い放っても、相手に理解させられない。
それで、私は具体例として 「 フェスティバルゲート 」 の話をした。
大阪の人ならご存知かと思うが、フェスティバルゲートというのは、通天閣の近くに大阪市が建造した 「 都心型テーマパーク 」 の名称である。
バブル期の遺物ともいえるこの商業施設は、創業時 「 ジェットコースターが都心で楽しめる 」 遊び場として、そこそこの人気スポットに位置した。
しかしながら、目新しい発展もなく徐々に飽きられ、やがては休日でも閑散とした状態に陥り、大赤字を抱えたまま閉鎖されることになった。
これを、「 事業計画の失敗 」 と主催者は説明した。
私の個人的な意見かもしれないが、運営を 「 大阪市の役人 」 ではなくて、たとえば 「 吉本興業 」 あたりに委託していれば、結果は違ったと思う。
商売というのは、相手に 「 利益 [ benefit ] 」 さえ提供すればよいという単純なものではない。
特にアミューズメントの場合、顧客は別の価値観と、満足度を要求する。
それが 「 何なのか 」 もわからず、また理解しようともしない連中が、立地や、入場料や、施設の利便性を語っても、それは成功に結びつかない。
しかしながら、バックが 「 大阪市 」 という保証と、当り障りの無い事業計画書によって、頭の悪い銀行は ホイホイ とお金を貸すのである。
見る者が見れば 「 失敗は明白 」 であっても、それは彼らの関心にない。
逆に、「 これは当たる、大化けする 」 という独創的、画期的なアイディアを持つベンチャーに対し、専門家を招いて吟味するような事例は少ない。
だから、銀行主導の経済が、なかなか発展しないのである。
前述の幹部も、「 銀行に “ ウケ ” の良い 」 企画書をつくる習性から脱皮できず、まるで面白くもないレポートを、何時間もかけて作成したのだ。
この時点で、私は 「 どうぞお好きに 」 と席を立ち、まず成功する可能性は、かぎりなく 0 に等しいことを告げ、自分の役割は終わったと悟った。
しかしながら、この企業はさほど大きくもないが、何よりも大切な 「 素直さ 」 というものを持った経営陣が、体勢を占めていたのである。
議長の 「 成功しないなら、無難に収める意味も無い 」 という発言を皮切りに、どうすれば顧客を満足させられるかという一点に議題が集中した。
それから全員が、「 経営 」 という目線を捨て、「 自分が顧客なら利用するか 」、「 今の若者が喜ぶか 」 という視点に、意見をシフトし始めていく。
実に有意義で、感動的ともいえる会議になったのだが、その余韻は会議室を飛び出し、延々と夜を徹して続いたので、今夜もこんな時間である。
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