部長motoいっぺい
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2003年03月25日(火) 息子の本音

今日家に帰ると、帰国を明日に控えたMさんの奥さんと、息子の友達であるI君、その弟のK君の3人が、わが家を訪れていた。
訪れていたというよりは、ウチの嫁が夕食を一緒に食べないかと誘ったらしく、お好み焼きをみんなでつついていた。

夕食を食べ終わった子供たちは、2階でキャーキャーいいながら楽しそうに遊んでいた。

8時頃に最後の仕事を終えたMさんが、ご家族を迎えにいらっしゃったところ、それまで騒いでいたウチの息子が突然泣き始めてしまった。日本語補習校でこの1年間、一緒に遊んだり宿題をしたI君と、もうしばらくは会えないと言う事を嫁から聞いていたようだった。

家の外までMさん一家を見送ったとき、I君は早々に車に乗り込んでしまったのだが、ウチの息子が泣いていたためMさんがI君を車から一旦おろし、息子と握手をさせた。
偶然ではあるが、Mさんの奥さんの実家と、ウチの嫁の実家は自転車で行けるほど近いところにあるため、今度はそこで会おうと約束してサヨナラをした。


その後、息子と一緒にお風呂に入ったところ、

「今度日本の学校と、アメリカの学校が休みになるのはいつなの?」

と息子が訪ねてきたため、

「8月は夏休みでどっちの学校もないけど、今年はサマーキャンプに行かなきゃ!」

と僕は返した。
息子は以前からサマーキャンプに強い興味を持っており、そのことを持ち出すことで日本への里心を抑えることができるのではと思っていた。

確かにその読みはあたっていたのだが、サマーキャンプの話をしている時に、日本の幼稚園の最後の思い出である「お泊り保育」のことを思い出したようで、また泣き出してしまった。。。

お風呂からあがった息子は、嫁に向って、

「お泊り保育から帰ったら、お父さんが「アメリカに行く」って言った〜(泣)」

「どうしてお父さんはアメリカでお仕事しなきゃならないの!?僕はアメリカに来たくなかったのに〜(泣)」

「だって僕、英語もちょっとしかわからないし〜(泣)」

といって泣いていた。


渡米から1年半以上経ち、ボチボチと英語でのコミュニケーションが取れ始めたとはいえ、やはり「言葉が通じない」世界の中で暮らすストレスというのは、相当なものなのだなと痛感させられた。



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