池ポエム
ハンス



 こんな夢の話

 今まで見た中で、一番怖い夢は何?

 誰が言い出したのか、話題はいつの間にかそんなものになっていた。
 窓枠に腰掛けて、玲は外を眺めている。後ろから3人があーだこーだ言っているのが聞こえる。
 「夢、ねぇ」
 なんとなく、目を瞑ってみた。夢。目を覚ました時には忘れてしまっていることが多い。とりわけ印象的なもの、と言われても玲には人に語っておもしろい夢を見たことはあまりなかった。何か印象的なものはないか、と記憶を探っているとふいに身体が外側に向かってぐらりと傾いた。
 「うおっ!」
 ここは3階。外側に落ちれば剣待生とはいえただでは済まない。こんなことをするのは、一人しかいない。玲が目を開けると、紗枝が涼しい顔して立っていた。
 「あっぶねーな……シャレになんねーぞ」
 「そんなとこで目閉じてると落っこちるわよ」
 「お前が率先して落としてんじゃねーか!」
 危険な行動に出た割に、どこか楽しそうである。玲は紗枝の顔をじっと見た。さっきからの会話を右から左へ流していたせいで、紗枝の怖い夢の話はまるで聞いちゃいない。
 (紗枝には怖い夢なんてねーンだろうな)
 現実に対して、ほぼ無敵。玲の知りうる紗枝の姿。それは夢の中でだって変わらないだろうから。


 「んーとねー、お菓子が目の前にあるんだけど、ぜってー手が届かないんだよね〜」
 障害物は何もないのに。空気の壁があってもどかしく、もがいていももがいても掴めない。じたばたして、力いっぱい拳を叩き込んで、ウーと唸っていると向こうから見覚えのある指先が差し出された。
 「そんで、あたしの口に入れてくれんの」
 「へー」
 紗枝が非常に平たい表情でみのりの話に耳を傾けている。そもそも、これは怖い夢というジャンル分けで正しいのだろうか。みのりにとっては、怖いというより残念な夢である。しかも最後は、食べさせてもらえるんだから、結局は幸せな夢。
 「その指はマニキュアがきれいに塗ってあったんだ?」
 紗枝が頬杖ついて暇そうにしている紅愛をちらりと見ながら、みのりに尋ねた。
 「うん!」
 もうその人物の正体は十中八九わかったも同然。みのりが能天気に元気よくお返事したのを聞いても、紅愛はノーリアクション。注意深く観察すると、ほんの一瞬だけ紗枝と目が合った。少しだけ頬が赤い。
 (孫悟空を岩から解放してくれた三蔵法師、か)
 指先のきれいな三蔵法師。いつだって、力だけでは得られない何かをくれる人。


 物理的な感覚は、夢の中ではどこまで有効か。
 いや、そんな話題を振るつもりはさらさらなかったのに。お菓子を食べた夢の話をして、早速食欲が湧いたのかみのりが側まで寄って来た。人のこと、売店か何かと勘違いしているらしい。紅愛に手持ちがなくてもあっても、とにかく寄るだけで安心するのだそうだ。
 「紅愛は〜?」
 「え?」
 みのりが顎をテーブルに乗せて、下から顔を覗き込んでくる。
 「夢〜」
 そういえば話題はお菓子じゃなくて、夢だった。
 「あんまり覚えてないほうね」
 正直な話だった。目覚めた時に、何か悲しい気持ちが胸を満たしていても、数秒で余韻が冷めていく。一体何がそんなに悲しかったのか、さっぱり思い出せない。みのりのように、鮮明に思い出せるほど内容に執着のある夢はない。
 「紅愛、こないだクルクル回った夢」
 みのりが指先をくるくると回す。思い出したくないことが頭をよぎる。確かにみのりには、衝撃のあまり内容を話したが蒸し返されたくはなかった。案の定、
 「?この間の」
 「おー、ついに夢にまで見たか。ご愁傷さま」
 がっちりハメてくれた張本人ズが身を乗り出す。
 「……誰のせいよ、この極悪夫婦」
 「夫婦言うな。で、夢ン中でもちゃんと目は回んのか?」
 極悪夫婦・夫が興味津々に身体をこちらに向けた。不安定な場所に座っているから、いっそそのまま向こう側に落ちろ、と呪ってみる。
 「回るわよ。もういやってくらい」
 「コーヒーカップみたいな感じ?」
 思えば実際身体に何か変化が起きているわけでもないのに、目が回っている気がするというのも不思議なものだ。
 「そういえば夢でも落ちてく感じとか、ちゃんとするわね」
 「刺さると痛いしね〜」
 「おっ、そうだ」
 極悪夫が、何か思いついたのか頭の上で組んでいた腕を下ろす。それまで、聞いてるような聞いてないような態度でいたのに、発言する気になったらしい。玲はそのまま、さらりと言った。
 「ギロチンの刑になる夢って見たことあるか?」


 もうこれから先はない。断頭台に連れていかれて、抵抗する気力も失って、係の者の誘導に素直に従って、装置に頭を固定された。上は向けないから、巨大な中華包丁みたいな刃は見ることができない。執行役が紐を引いて、すとんと落ちたら。
 夢はいつも、ギリギリのところで終わる。自分の夢なのに続きが気になった。あの後。何があの場に残った?
 考えて、それはおかしいと気づいた。夢の切れ目と同じく、夢の中の自分の意識も途切れておしまい。その先には何もない。その後のことを認識することは、できない。左胸に手を当てた。ドキドキと、奥の方から鼓動が響いた。

 「こわっ」
 怖い夢の話、を始めてから初めて怖いという言葉が参加者の口からこぼれた。
 「そうそう。怖い夢の話をしてたのよね」
 「怖いってゆーか、危ないんじゃないの?玲」
 紅愛があきれた顔をしている。
 「そういう時って何を思うのかしらね」
 最期に。
 「さぁな」
 「玲は?」
 この世からおさらばする、それも一瞬で。断頭台の王様は、最期に悔いるのか、恨むのか、嘆くのか、混乱するのか、呆然とするのか。
 窓の外に目をやった。
 「さぁ」
 それに近い気持ちは、少し想像がついた。


 怖い夢の話、はそれからどんどん逸れて、夕暮れが迫る頃お開きになった。部屋にはもう二人だけ。玲は帰る仕度もせず、同じ場所に。人影がして、誰かが近づいてきた。わかったけれど、知らんふりをした。
 頭部を優しく抱えられた。左耳が柔らかい。
 紗枝は、言い聞かせた。
 「玲が死刑囚だったこと、今まで一度だってないでしょ」
 断頭台の革命家は、大勢の前で敗北を思い知らされ、さらされるのだ。
 「大丈夫」
 頭部を抱く力が強くなる。
 「玲がもし捕まる時は、ちゃんと私が」
 でもその後に、紗枝はどうするの。
 この素朴な疑問は、決して口には出さなかった。

2006年07月10日(月)
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