池ポエム
ハンス



 Sun Shine Sound

 窓の外を見ると、刃友のあいつが手を振っていた。ただでさえ小さいのに、遠くにいるその姿は一層小さかった。目につきやすいピンク色の髪のせいで、遠目でも見間違えることはない。綾那が気づいて見ているのがわかると、両手を振ってぴょんぴょん跳ねだした。
 「なにしてんだ、あいつ」
 同じ寮に住んでいるから、たまにはこうして見かけることも珍しくはない。前に、夜中だというのに大声で気合を入れているのを目撃した。刃友はやたらとやかましいから、他の人間より目につきやすいのだ。
 そうだ、きっと、そうだ。
 「あれ〜? はやてちゃんと桃っちだね、あれ」
 後ろから順も窓の外を覗き込む。どうでもいいけど、肩に腕を回してくるのはなぜだ。無意識なのかわざとなのか、肩を抱き寄せられながら外を眺める格好になってしまった。
 「ライン引き?」
 文句を言う前に、順が窓の外を指さした。表の二人が手に赤い色した箱のようなものを持っている。結構離れているのに、順には当たり前のように見えているらしい。綾那は指先の示す方角に向かって、目を凝らした。
 「どれ?」
 「あれあれ。桃っちが今押してるやつ」
 眼鏡をかけている分際で言っても説得力はないが、綾那は日常では不自由しない程度に視力は維持できている、はずだ。小指の先ほどの、赤い箱が確かに桃香の側にあるようにも見えた。
 「アンタ、どんな目してんのよ」
 遥か向こうの二人とは正反対に、間近にありすぎる順の顔。これだけ近ければよく見える。いや、近すぎて見えない。ああ、こいつこんな顔だったっけ。全体が捉えきれないほどの至近距離は、見えないのと同じだ。そんなことをぼんやり思う。
 「2.5以上はあった、はず」
 「はず?」
 「計測不能ってやつ? 教室の端から測ってもまだ見えちゃうもんだからねぇ」
 そういえば春の検診の時に、やけに遠い距離から視力検査をしていた順の姿を見かけた。
 「それだけ目がよけりゃ、覗き放題だな」
 「もー、まだ言うの? あたしは真面目な理由でしか覗かないんだってば」
 「結局覗いてんじゃないの」
 大体、真面目な理由ってなんだ。とっ捕まった奴が言う定石の言い訳みたいなことを口にする。さすが淫魔。バレてないだけで前科があるに違いない。
 「あっ、なるほど」
 順が突然声を上げた。窓の外に何か変化が起きたらしい。
 「ほら、よく見てよ綾那」
 目をやると、二人の姿がなかった。どこか建物の影にでも隠れたのだろうか。広く見渡せる広場みたいなところに、さっきはよく見えなかったライン引きが一台、置き去りにされていた。
 「いなくなった、な」
 「違う違う、そっちじゃなくて」
 順は腕を伸ばして、ほら、と身を乗り出す。肩を抱いたまま身を乗り出すものだから、自然綾那も引っ張られる。何を見ろと言っているのか、よくわからないまま順の指が何かをなぞっているのを眺めた。窓の外には、指の動いたのと同じ形の文字が、地面にでかでかと描かれていた。
 「アルファベットの……L、O、V、E」
 赤い粉を多量に使って、途切れないように慎重に引かれた一文字一文字。
 「A、Y、A、N、A」
 綾那の呟きの後に、順が続けた。全部繋げると、それは。
 「アホか、あいつはぁ!!」
 窓のサッシが今にも割れそうな音を立てる。綾那の剣幕に一瞬、順がたじろぐ。
 わざわざ、体育の備品を持ち出して。赤い粉の大量消費に気づいた体育教師にバレて、そのうち怒られるだろうに。怒りなのかそれとも他の何かなのか、顔を真っ赤にして拳をぶるぶる震わせる綾那に、そっと順は話しかけた。
 「あ、綾那。ほら、またはやてちゃんたちが出てきたよ」
 「ぁあ!?」
 メンチを切るヤンキー並みに柄悪く、窓の外を睨みつける。小さな小さな犯人たちが、ちょこちょこと物陰から現れて、手にはホウキとチリトリらしき物を持っている。
 「ははぁ〜、なるほど。ああして片付ければ使ったことバレないもんねぇ」
 せっかく頑張って描いた努力の結晶が、さっさか片付けられていく。コンクリートの上だからこそできる作戦に、順は何度も頷いた。
 「バカにしては考えたな」
 「あれ、それだけ?」
 人のいない間に靴をこしらえてくれる小人みたいに、小さな二人が一生懸命掃除しているのをそれから延々と眺めていた。どうしてかわからない。わからないといえば、刃友がなんであんなことをするのかもわからない。順も、ずっと場所を変えないで付き合ってくれている。
 「はやてちゃんからのダイナミックな愛の告白に応えなきゃ、綾那は」
 「はぁ!?」
 「だってLOVEよ、LOVE。これが愛の告白じゃなくてなんだってのよ」
 字面だけは確かにそうだった。が、刃友のはた迷惑な言い回しにはもう慣れている。この手のアホな表現をするから腹立つのだけど。
 「なんでこんな言い方しかできないんだ、あいつは」
 赤い粉を山のようにチリトリに積もらせて小走りに移動する。途中でけつまずいて、先に立っていた桃香が頭から粉をかぶった。
 「あ」
 「……あちゃ〜」
 粉まみれの一年生二人、一丁出来上がり。風呂場はもう開いてるだろうか。
 「バカめ」
 言葉尻が自然と意地悪になる。ついでに長々と肩に置かれていた順の手も振り払って、窓の側から立ち上がる。去り際に、順がため息をつくのが聞こえた。
 「報われないねぇ、はやてちゃん」
 胸に落ちていた黒い塊みたいなものは、忘れて消えてなくなっていた。またどこかから戻ってくるに違いないけど。付け焼刃の幸せを処方してくれるのは、あいつだってことはとうにわかっている。
 完治することを望んでいるのか。それとも、この病を抱えたまま全身が腐っていくことを願っているのか。
 わからない。わからないから、今は。
 「綾那、どこ行くの」
 「ホウキ」

2006年05月07日(日)
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