池ポエム
ハンス



 同じ部屋の人は

 最近、ルームメイトの帰宅が遅い。朝も、随分早くに出て行くようだが、教室で姿を見ることは日に日に少なくっている。帰って来る時の様子も、制服を着ていることはほとんどなく、トレーニングでもしてきたかのように息を切らして汗をかいている。
 おかしい。
 今、必死に机にかじりついてノートを写しているピンク頭の様子を、桃香はさりげなく窺った。真面目に机に向かっているところなんかほとんど見たことがないから、貴重といえば貴重な場面。頭を動かしすぎるらしく、てっぺんの髪の毛が頼りなくゆらゆら揺れている。
 (ノート写すのに頭動かす必要はないじゃろ)
 しかしあまりに頑張っているはやてにそう言うのも冷たい気がして、言わないでおく。星奪りではあっという間にランクを昇りつめているはやても、勉強に関しては集中力がないらしく、何だかんだとノートを写すのを後回しにしてきた。そのツケが回って、今夜はマジやばいらしい。さっきそう叫んでいた。
 「う゛あ〜」
 ついに鉛筆が手から離れる。
 「どうした、黒鉄」
 「もかちゃんもうダメ、だずげで……」
 机の上には今日渡したばかりの英語のノートが開かれている。はやては受け取った時失礼にも「もかちゃんのノートきれい、いがい〜」とかぬかすから思わずグーで殴ってしまった。
 「アホウ。元はと言えば最近アンタが授業出とらんからいけんのじゃろ」
 「だって、だって」
 先生方も、剣待生のことは一般生とは別物として見ているらしく、学生らしからぬアクシデントのために授業に出られなかったり出なかったりする個性的な行動を容認する傾向にあった。変な学校だ。
 「だいたい、前から聞いてみたかったんじゃけど」
 机の上で屍っていたはやてが、顔を起こす。桃香の次の言葉を予測したのか、いつもバカ全開な笑顔が少し引き締まった。
 「なんで特訓しとること、秘密なん?」
 そこは生徒たちの人目につきにくい、寮と学校の間に位置する中庭。桃香が目撃したのは、縄に絡まって宙吊りにされているはやての姿だった。はやての刃友殿との新しいプレイなのかと周囲を見回したが、正真正銘、そこにいたのははやて一人。
 「アンタが無道サンに秘密にするなんて、珍しいな」
 「それは」
 縄から下ろすのにも一苦労。何しろ、どうしたらこうなるのか理解不可能なぐらい複雑に絡まり合って、知恵の輪を解くように難しい。桃香は知恵の輪やらルービックキューブやら、仕掛けを考えて全体を調和させる玩具は苦手だ。その縄地獄を解く最中も、真剣持ってきてぶっち切ったらぁ!!と頭に血が昇って大変だった。
 「無道サン呼んでこよか」
 もうこうなったら、誰か縄を解くのがうまい人に救援を頼むしかない。夕日が二人を赤く染める頃、ぶら下がったままのはやてが半泣きになり、いらだった桃香も泣きたくなり。天地の虎に噛み切ってもらうでもしなきゃムリだ、と桃香が提案したのを遮ったのははやての声。
 肌寒くなり始めた空気に、はやての声は強く響いた。
 「体、傷だらけじゃろ」
 はやての小さい体は、縄の跡が赤く残って痛々しい。どれほど前から、ずっとあそこで一人で特訓していたのか、想像がつく。
 「いやだなぁ、もかちゃん。じゅんじゅんみたいに獣の目であたしを見ないで」
 どこかのルームメイトじゃあるまいし。イヤでも同室なら、着替えやらなんやらで視界に入る。特訓を桃香にも黙っていたはやては、うかつだった。さすがかなり早い段階で替え玉入学がバレただけのことはある。基本的に隠し事は不得手なのだ。
 「冗談言うてる場合か」
 「……だ、だって」
 てっぺんの長い毛がしなっと元気なく崩れる。
 「あやなにナイショでやるって決めたんだもん、あたしはあやなの刃友だから」
 「刃友やったら、一緒に特訓したらええじゃろ」
 「ダメだよ」
 元々星奪りは天と地の連携が大事なのだから、二人で一つの形を研究することも勝つには不可欠の訓練である。桃香とその刃友も、近頃はそのことを顔突き合わせては考えている。個人競技ではなく二人一組である意味を、桃香はついこの間思い知った。協力すること。一人じゃないこと。
 不自由なんかではなく、それが勇気を生むということを。
 「あやなは強いから」
 「そりゃあの人は……」
 学年が違う、キャリアが違う、と言いかけて桃香は口を噤んだ。
 「あたしね」
 『負けるのは、イヤじゃなかったんだよ』
 今より少し昔の話。
 はやてに双子の姉がいることは、当初から聞かされていた。その子は、はやてより強くて、はやてとは全然違う剣を遣って、誰にも負けなかったらしい。いつも敵わないその剣を一番近くてずっと見ていても、はやては悔しくなかった。
 「なんでかなあ」
 星奪りに参加するまでは、負けると悔しいって知らなかった。
 「もかちゃん、なんでだと思う?」
 「ん〜、なんとなくわかるわ」
 「わかるの!?」
 桃香の脳裏に、はやての二つ上の刃友の顔が浮かんだ。その隣に、長い髪を二つに縛った少々顔色の悪い自分の刃友の姿を並べる。
 はやてが桃香に飛びついてきた。もう完全に復活したらしい。
 「まぁ、な。ウチも刃友持ちのハシクレじゃ」
 しがみつくはやての瞳がキラキラと見上げてくる。
 「とりあえず離れんかい」
 「えー、なんでなんで!?もかちゃんあたしのこと愛してないの?」
 「誰が愛じゃ、誰が!!」
 ひとしきりくっついてくるはやてを引き剥がす。べちっと音がした。
 「相方の前でカッコつけたい思うんは、自然な気持ちじゃろ」
 「カッコー?」
 相手が素敵な人であればあるほど。桃香は腕を組んで、はやての前に座り込んだ。
 「ウチかてわんこの前やと、気合い入るしな」
 「気合い……」
 はやての視線が何だか顔のセンターに集まっている。格好をつけようとしているわりに結末がいつも鼻血なのはなぜなのだ。そう言いたいのだろう。そんなこと桃香自身にもわからない。
 「ま、まぁ理想と現実ってやっちゃ」
 一人で戦っているよりも、心強いのと同時に、相手が自分をどう思うのか気に掛かる。はやてが悔しいという気持ちを覚えたのも、二人になったから。
 「アンタの場合、相当無道サンに入れ込んどるからな〜」
 何も考えてないように見えて、刃友のことを気にしているはやて。桃香はそのピンク色の頭を乱暴にガシガシ撫ぜ回した。
 「うちのヨメは世界一だからねっ」
 「ふっ、甘いな黒鉄。わんこだって負けとらんぞー」
 嫁トーク。はやての刃友自慢に対抗して、桃香も必殺嫁自慢返しをすることを最近覚えた。はやてが楔束してから少し遅れて刃友を得たから、自慢トークができるようになったのも少し後。遅れを取り戻すかのように、相方のことをしゃべり出すと止まらなくなる。
 こんなこと、当人には言えない。いないからこその、嫁トーク。
 この前の星奪りの時にわんこが、だのこの前昼休みにわんこと、だの。上機嫌に話す桃香を見ているうち、はやてはふわりと自然に微笑んでいた。
 「もかちゃん」
 「なんじゃ?」
 刃友と一緒に強くなる。鼻血を流しながら、この間桃香が言った言葉。
 「あたし、強くなるよ」
 綾那の隣に立つために。
 「今はちょっと言えないけど」
 そのうちに絶対言うから、とはやてはきっぱりと言い切った。その眼は清々しかった。
 「なんや、今日の黒鉄は健気じゃのぅ」
 小さい体に様々な思いを乗せて。桃香は体ごと、はやてを包んだ。ぐぇ、と蛙が潰れたような声がした。
 「もかちゃんくるしいよ〜、もっとソフトに抱いて〜」
 「誤解されるような言い方しぃなや。ウチは頑張っとるアンタに感動して……」
 カシャッ。
 二人に向かって光が浴びせられる。向き直った先には携帯を構えた順が。
 「スックープッ!ルームメイトたちの禁断の愛!!」
 最近の携帯はきれいに撮れるよね、とか言いながら順はさらに2、3枚連写する。ドアが開く音すら気づかなかった。さすが、Bクラスの実力者というべきか。
 「いやぁ、実家からみかんが大量が届いたからお裾分けに来たんだけど」
 微妙な含みのある眼差しが、二人を捉えている。多分、今あの視点に立ったら何か危険なフィルターがかかっているに違いない。
 「まさかはやてちゃんと桃っちがこんなことになってるとはね〜」
 「いや、こんなことっちゅーかどうもなってませんて」
 確かに、扉を開けたら抱き合う二人の生徒がいたら、多少は誤解を招くかもしれない。が、あくまで女子ばかりの寮で、同室の者が。桃色脳髄を持つこの人以外は、そんな風には思うまい。
 「綾那に見せたら何て言うかなー。嫉妬のあまり愛人に決闘を挑むかもね」
 「……この場合、愛人てウチですか?」
 「そうだよ、桃っち。キミは天空の決闘場でバラの花を胸につけて……」
 「おぉぉぉう!ヨメ奪り合戦リターンズだねっ!!」
 なぜかはやてまで興奮し出して、『二人とも、あたしのために争わないで』とか言い出す。
 「というわけで、勝ったほうがバラの花嫁を好きにできる権利を」
 「いや、どこまで続くんですか、このネタ」
 その夜は、順が持ってきた大量のミカンを摂取しながら、綾那に聞かれたら殴られそうなネタで遅くまで盛り上がったのだった。

2006年03月04日(土)
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