どんぐり1号のときどき日記
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今日から2泊3日のショート・スティに父親を送り出す。 直前で持ち物を変えたりして、やたらと苦労する。そして本人も不安なのか金を持とうとするのだが、本当はお金は持っていってはいけないのだ。なにせ徘徊する人もいるので、貴重品の管理は事実上不可能なのである。こういう部分が年寄りの扱いで困る部分だろう。
ところで政府が「脳死は人の死」という決定をしたためか、やたらあちこちで「脳死は人の死ではない」という意見を見る。 これは例によって政府側に反対していれば金になると考えているマスコミのミス・リードなのではないかと思うのだが、私自身「脳死は人の死だ」と思っているので、むしろ脳死を死と考えられない人がこんなにいるのかと驚いてしまう。 基本的に心臓が動いているから生きているという考え自体は明らかにおかしい。「死んでいると判っているが、心情的には死んだと考えたくない」という意見なら充分納得出来るが、心臓が動いているから人間として生きているという考えは明らかに間違っている。脳が死んだら人間としての意味がないといえるのだから。
この問題について政府もマスコミも、そして国民も、「医学的な問題」と「心情的な問題」を一緒に論じているのがおかしいのである。それが判っていないから意味のない不毛な論争になってしまうのだ。 そもそも一般的に勉強不足の人が「脳死は人の死ではない」と判断を下す根拠はどこからくるのだろうか。少なくとも科学的な根拠は希薄だ。彼らの場合は科学の問題ではなく論理の問題で、つまり宗教と同じ思考レヴェルであるといえる。宗教的な考え方を持ってきては、まとまる物もまとまらなくなる事になるのは、歴史が証明している。 脳死問題は、純粋に科学的な思考で基礎を作り、その後心情的な問題を組み入れて考えるべきであり、同時に考えていては何も解決しない。本当はマスコミこそが啓蒙活動をする責任があるのだが、そのマスコミが勉強不足の上に、視聴率や販売部数という売る事しか考えていないから、何の役に立っていないのが実情だ。 今の日本でこういう問題を法制化する場合には、多分まともな物にはならないと簡単に予想されてしまう。困ったものである。
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