どんぐり1号のときどき日記
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| 2009年05月01日(金) |
「クレイモア」16巻 |
今日発売された「クレイモア」の16巻を購入。 15巻以降はずっと立ち読みしているのだが、まとまって読める方が楽だし、絵もじっくりと見られる(立ち読みでは全然気づかなかったが、ディートリヒってまだ子供だったとは…)。 しかしこれが連載されている「ジャンプSQ」なる雑誌は、これ以外に読むべき漫画が全然なく、実につまらない雑誌だと思う。そういう意味で「COMIC リュウ」は遙かに健全な漫画雑誌だと言えるかも知れない。なにせ押井守と山田正紀のエッセイまで連載しているのだから。
それはともかくとして、16巻ではクレアがほとんど活躍しない。最初の方に少し出てくるだけで、以後は他のキャラクターによる話が続く。そんな中ではヘレンがなかなか人間的だ。 そして他のキャラクターが活躍する度に、私はクレア1人の活躍に期待している訳ではないと再認識出来るのである。ミリアが活躍し始める6巻からは明らかに群像劇に移行しているのだが、それが実に面白く、だから敵も味方も、ちゃんとしたキャラクターとして楽しめるのである。そしてそのおかげで、クレアが未熟な戦士であっても生き残れているのである。パワー・インフレを防ぐ一つの手段がこれだろう。
こうして考えると、昨今の漫画に希薄なのはこの群像劇の部分なのではないだろうかと思えてくる。 キャラクターを作れない作家と編集者がセットになれば、敵のパワーアップに合わせて主役もひたすらパワーアップさせなければ生き残る事は不可能になり、これがパワー・インフレの元になる訳だが、群像劇になれば弱い部分をお互いにカヴァーしながらストーリーを進められるので、多少の矛盾が出てきてもそれは最小限に抑える事が可能なのだ。もちろん多くのキャラクターを作り出せるだけのセンスがなければならないのは当然で、これ自体が難しい作業だから、誰もが簡単に出来る訳ではない。 この「クレイモア」もミリア、ヘレン、デネヴというキャラクターが出来た6巻以降で、ようやく道が開けたという所だ。
それらのキャラを上手く配置する事で、実はストーリー上のあちこちにある矛盾が上手く隠されている。だからおそらくは、これらの矛盾に若い読者は気づいていない。通しで何度か読むとそれが見えてくるのだが、この辺は結構上手く処理されているので、長編を読み慣れていない読者には判らないだろう。 そう言う事も含めて、旧来のキャラクターの成長と新しいキャラクターの活躍に期待するし、内容的にはそろそろまとめに入りつつあるようなので、今後の展開に結構期待しているのだった。
ただしかなり緻密にストーリー構成をしている部分が多いので、逆に伏線が見えてしまう部分も結構ある。若い読者には良いかもしれないが、私のように世代になれば、ほぼ丸見えである。もっともそれ自体も楽しみではあるのだが。
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