どんぐり1号のときどき日記
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2009年01月13日(火) 懐古か否か

 先日、ちょっとはかせのところで話題になったガンダム・ネタに関して書き込んだのだが、基本的に飲み屋で初代ガンダムを絶対視する連中が語るのは、戦争体験者が当時を懐かしんだり軍歌を歌うのと同じ心理であり、それはつまりまともな内容の話なんかしている訳はないと思うのだ。
 今では有名だが、初代ガンダムの正放映時は散々な視聴率で打ち切り同然の扱いだったのだが(これはヤマトも同じだ)、初代が良かったと懐かしむ年配の人ほど、実は正放映時には見ておらず、世間の評価が定まってから見ているというパターンが圧倒的に多い。さらに困った事にそれ以後のシリーズも見ておらず、一体何と比較しているのか判らないという人も多いのである。
 そういう訳で、初代を絶対視するにしても、自分の評価なのか他人の評価なのか、結構いい加減な人が多いのは確かだ。そもそも遠い昔の出来事ほど、自分の記憶の中では美化されて行くのだから、少なくとも作品を語りたいのなら、それなりの準備、または筋の通った自分のポリシーを持っていないと困る。それがないのなら、それはただのジジイの戯言でしかない。それは断言しておく。

 しかしこれがロックになると少し話が変わってくる。
 これは渋谷陽一氏も指摘しているが、現在飲み屋でロックを熱く語る年齢層は、かなり高い。なぜなら現在の若い層はそろそろ洋楽のロックをあまり聴かないし少数派なので、そんな連中が飲み屋でロックを熱く語る事などないのである。もはや共通言語ではないのだ。
 だが1965年から1975年という本物のロックの黄金時代に青春時代を過ごしロックに熱中した人間は、本当にロックがこびりついている。そして語るべき事が各自たくさんあるのだ。しかもあの時代は間違いなく洋楽が音楽の中心だったので、実はかなり共通言語として機能している。

 当時のロックをリアルタイムで聞いた人間の多くは、ロックのビッグバンゆえ、他人の評価ではなく、自分の評価基準を持っている事が多い。同じ名盤を語るにしても、皆切り口が違うのである。それがアニメ・ファンなんかとは違う点だ。
 ロックはアニメと違って、あまりテレビで流れる事はなかったし、レコードを一枚買うのも大変だったのだ。だから本当に熱心に情報を仕入れ、アルバムを買ったり借りたりしたら、本当に熱心に聞いたものである。

 しかも世の教育者はロックは不良化の元とばかりに拒否しており、ずっと聞き続けた人間というのは、それなりに根性があったと言えるのだ。なにせ1970年代ですら、ビートルズを否定する教師はまだまだ存在したのだ。そういう時代に多感な青春期を過ごせば、熱中したものをどれだけ体内に取り込めるかは、容易に想像がつこうというものだ。

 かくして、同じ昔は良かったにしても、自己主張できるかどうかが飲み屋でまともに議論できるかどうかの分かれ目となる訳である。


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