どんぐり1号のときどき日記
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| 2009年01月12日(月) |
ヴィジランティズムではない |
実家で頼まれた物を探してホームセンターを回るも、空振り。
帰宅後は、ネットを徘徊しながらひたすら音楽を聴く。 キャラヴァンはいつ聞いても良い。特に「グレイとピンクの地」と「夜ごと太る女のために」は彼らのベストだろう(ベストと言いながら2枚というのも変な話だが)。不思議だったのは、ダリル・ウェイがウルフ名義で出した3枚のアルバムが、当時あれほど好きだったにもかかわらず、今日聞くとあまり感動しない。おそらく気分がウルフのようなジャズ・ロックに向かっていないのだろう。最近はナイトウイッシュの「ワンス」ばかり聞いているからなぁ…。 まあ「危機」にしろ「クリムザン・キングの宮殿」にしろ、毎日聞いて感動するという事は、もうない。だが日によって感動したり、どうでも良かったりする。これはまあ当然だろう。毎日同じ気分の人間などありえないのだから。いずれ言えるのは、良いアルバムとそうでないアルバムの違いくらいは判った方が楽しい。 しかし「ストラトヴァリウス」って、こんなに軽かったっけ? やはりベース・ラインやリズムは、「ナイトウイッシュ」や「ドリーム・シアター」の方が複雑だし、そもそも感覚として好きだ。
等と言いつつ、またも「ダークナイト」を見てしまう。もちろん劇場で観たが、DVDでは3回目だ。 この映画の面白いところは、「狼よさらば」や「ロサンゼルス」といった一連のDeath Wishシリーズのテーマを換骨奪胎してアップ・グレードした上で、アンチ・テーゼとして再構築してある部分かもしれない。 「狼よさらば」で、あのポール・カージーがニューヨークのチンピラ達を無差別に殺していくというのは、映画的な見せ場という点では単純に快感となってしまうが、法治国家において正義というものを考えた場合、この自警団というのは非常に危険なのである。法治国家は法で全てを治めなければならない。そうでなければ、それは国内的にも対外的にも、法治国家ではないからだ。 だからバットマンは悩むのである。彼の立ち位置は極めて危険であり、それを表わしているのが冒頭のバットマンのマネをしている連中なのである。つまり想像以上にこの「ダークナイト」という映画は奥が深い問題を抱えているのであり、それゆえラストでバットマンは汚名を着なければならないのである。 これこそが自警団を正当化してはいけないという、ノーラン監督の真意を表わしている部分だろう。傑作である。
それとは全然関係ないが、「ダークナイト」にはウイリアム・フィクトナー(正しい表記はウイリアム・フィクナーらしい)が冒頭の銀行襲撃時の支店長役で出ていた。この人、どこかで見た顔だと思ったら、「リベリオン」にも「ウルトラヴァイオレット」にも結構重要な役で出演している。ちょっと調べたら「ヒート」にも出ているという。意外と、映画館で観た好きな映画に出ていたという事だ。
ゆったりと映画を見ると、見落としていた発見があるし、色々と考えられるものだ。
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