どんぐり1号のときどき日記
DiaryINDEXpastwill


2008年10月19日(日) 万博のMGC

 実家でチマチマと小物の整理をしていたら、あっという間に夕方である。なんだか色々な物が発掘されてしまう。

 ところで1970年の大阪万博の会場に、実はモデルガン・メーカーMGCの販売用ブースがあったのだが、何故か現在までその公式写真を見つける事が出来ないでいた。
 ブースがあったのは間違いないのだが、どんな公式資料にも掲載されておらず、広告もブースのイラストだけであり、結局当時の記憶しか頼るものはないのが実情だった。
 だが日記の足跡から探ったあるサイトで、その謎がある程度解けた。当時予想はしていたが、やはり運営側とのトラブルというか確執のせいである。

 長年の謎だったブースの位置だが、日曜広場と呼ばれたエリアにあった日本館・電気通信館の前に、同じ形状で4つ並んだブースの南端だった。
 実は当時万博に行った人でもこのブースを見つけられずにいたらしく、まして知らずに行った人は全然気がつかなかったようだ。そもそもMGCの社員ですら探すのが大変だったというその理由も、ここで理解できた。要は最終的に目立たないようにせざるを得なかったという事だ。だからモデルガンとは関係ない別の商品をブースの前に大量に置いて、少なくとも通行人からは判りにくくしていたのである。
 理由は単純で、運営側には事前にモデルガンの販売だとは気付かないようにしていたためだ。

 そもそもどういう経緯で万博でモデルガンの販売をしようとしたのかは不明だが、そのMGCですらモデルガンの名前ではすんなりと協会のOKが出るとは思ってもいなかったらしい。そこで申請時に「モデルガング」として書類を作成したのだ。これならモデルガンも模造刀剣も売れるし、実際協会側はブラモデルや玩具でも販売するのだろうと、意外なほどすんなりと許可が出たそうだ。
 許可が取れればしめたもの、しかもMGCにはかなりの知恵者がいた。開催直前の3月12日までディスプレイもせず夜中から荷物の搬入をし、開会式の予行を聞きながら飾り付けをしたのだそうだ。そしてショーウインドウの飾り付けが終了したのが13日の午後10時、そこですぐにブースに幕をはり開会を待ったそうである。
 開催当日の14日になって目隠しの幕を降ろして開店したわけである。さすがに夕刻になって協会の人がすっ飛んで来たとの事で、しかも協会の担当者は反戦運動化として有名な左翼運動家らしい。
 あとは簡単に推理できるだろう。以後の公式記録からMGCの文字が一切見当たらなくなっているのである。

 40年近く経って、ようやく当時の疑問がほぼ解決したのだった。忘れなければ、いつかは疑問が解決するものだと感心した一日だった。

 ちなみにこれが記載されていたのは下記のサイトである。これ以上詳しい事については写真以外載っていない。
 http://expo70-web.hp.infoseek.co.jp/mokuji2.html


どんぐり1号 |MAILHomePage