どんぐり1号のときどき日記
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2007年11月19日(月) かくも理不尽な存在

 初雪だそうだ。おかげで今季、コートを着て出社するのも3日目になる。
 しかしこれでもノーマル・タイヤで走る連中が多いのには驚くが、あわててタイヤ交換にスタンドやクルマ屋に駆け込む連中と言うのも、なかなか理解し難いものがある。個人で行けばどうせ2時間とか待たされるのだから(こういうのは会社の車が優先なのは当然だ)、自分でやった方がはるかに早いだろうに。
 まあ、雪道でどんなに苦労してでも、タイヤ交換は楽をしたいという、その思考回路が私にはまったく理解できないのだが、実はそういう思考回路なのが車社会には多いのである。不思議なものだ。

 不思議と言えば、イタリアでは17日、動物愛護団体が主体となって「黒猫の日」のイベントが開かれたのだという。「黒猫は悪魔の手先」などとされていたこの国では、「黒猫は縁起が悪い」と信じている市民によって黒猫の殺害が横行し、昨年1年間に推定6万匹の黒猫が殺害されたというのだから恐ろしい。
 宗教や迷信は簡単に命を粗末に扱うようになるのは間違いないが、それが今でも続いているというあたりに、人間の愚かさを感じる。

 その点日本ではかつて「黒猫は縁起が良いもの」だった。少なくとも戦後20年くらいまではそうだったのだが、やはり敗戦国の悲しさ、アメリカの、というよりキリスト教の愚かな考えが定着するまでそう時間はかからなかったのである。恐らく今世論調査をすれば、9割以上は縁起が悪いという答えを出すだろう。

 元々日本は、異形を忌み嫌いつつも、大切にするという他の国にはないアンビバレンツな思考の社会だった。だから異形の生き物は恐れつつも敬うと言う事で無駄な殺生をせずに社会のバランスを取ってきた、非常に優れたものだったのである。
 だが一神教の宗教ではそれができない、良いか悪いかのデジタルな思考しかできない社会になってしまう。だから当時は珍しかった黒猫は排除されるのである。

 一神教を信じる連中は、日本人は無宗教だというが、それは大きな間違いだ。「八百万の神」という概念は、全てのものには等しく命が宿るから粗末にしてはならないと言う、キリスト教が求めてきつつもいまだに手に入れられない「究極の愛の姿」である。それは世界に誇っても良い宗教であり、考え方だったのだ。
 もちろんそれも力が正義と言う武家社会の元、どんどん廃れていったのだが…。


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