どんぐり1号のときどき日記
DiaryINDEX|past|will
昨夜は夜中になってから「シン・シティ」を見てしまった。今日は出社なのに…。
原作がコミックのこの映画は、映像処理がなかなか面白い。かなり手間隙かけて処理がされているし、その処理の仕方も場面毎に異なっている(多分原作者の意図する効果なのだろう)。 それはいいのだが、残念な事に「ブレードランナー」とまったく同じ欠点を持っていた。つまりモノローグである。これは映画においては邪魔でしかなく、誰もが見る可能性のあるテレビ・ドラマではないのだ。心理描写は映像でするべきで、どうしても必要なら短い言葉で普通のセリフを工夫するべきなのである。 これでは一般的な観客は何も考えずに見てしまうだけだろう。
しかし元々がコミックのせいもあるが、かなり荒唐無稽と言うか、話としては無理のある部分も多々見受けられる。この辺は脚本レヴェルでもう少し練っておくべきだったろう。ただ原作者が監督に名を連ねており、その原作者に気を使って好きにやらせていたというから、製作側としては仕方がなかったのかもしれない。 それでも日本では原作コミックに馴染みがないのだから、ワールドワイドに売るつもりなら、もう少し脚本は考えて作らなければならないだろう。
もっとも、モノローグの使用が製作側のある意図の元に行われているのなら、映画としては出来が悪いが、観客動員を狙うと言う点については、当然の帰結なのかも知れない。 その当然の帰結とは、原作コミックを映像化する事による荒唐無稽さを観客に感じさせないという効果を出す事である。観客に違和感を感じさせずに面白かったと思わせれば、今のハリウッド映画としては合格点なのであり、それがプロデューサーの仕事でもある。 そもそもある意図の元に観客を監督の意図する方へリードするのは、何もモノローグを使わなくとも簡単である。例えば画面を暗闇にしてライトを当てる事で、観客は全員がそれを見て、監督の見せたい物を見る。映画は映像で見せるためにあるのだから、こういうのは映像テクニックとして問題はない。 やはりセリフで説明するのであれば、それは映画として意味がないのだ。モノローグやナレーションは、少なくとも「映画」には不必要な要素であり大きなお世話である。 だから「ブレードランナー」は、私は公開当時から駄作であり失敗作だと言い続けてきたが、「最終版」の登場でようやくSF映画として完成されたのである。だから私は、「ブレードランナー」については「最終版」しか認めていない。
そのくらいモノローグやナレーションとは不要なものなので、使い方を誤るとかいうレヴェルの話ではない。入れてはいけないものなのである。 つまり、映画とはハードボイルドである。
|