どんぐり1号のときどき日記
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| 2006年08月31日(木) |
ウルトラヴァイオレット小説版 |
小説版「ウルトラヴァイオレット」読了。
てにおはの誤字が多く気になる。明らかに変換ミス&校正ミスである。そのほかにも訳がおかしいと思われる個所があったが、まあ気にするほどの事でもないだろう。所詮はその程度の本である。
ともかく映画がアクション8割だとすると、小説は人物描写8割である。それでいて映画のアシストをするような内容ではないし、残りのアクションもかなり物足りない。映画とは所々異なる展開をするので、そういう意味ではなんとなく読めたが、いずれわざわざ読むような代物ではないだろう。 例えばブラッド・シノワとの闘いでは、単なるカン・フーの闘いになっていて、GUN=KATAの面影すら感じられない。他のアクションでもやはりGUN=KATAを思わせる描写はない。もともとGUN=KATAを小説で表現する事は、よほど文才のある人間でないと無理だろうから、ある意味それは仕方のない事だろう。
内容はほぼ映画の流れに沿っているが、あの内容でそれをやられても面白くなるはずもない。なにか驚くような仕掛けがあるかと思えばそれもない。 そもそもダクサスがファージではないのである。これではオリジナルの人類を殺してしまう病原菌という設定が生きてこないだろう。だが小説のラストでダクサスがファージだったら、ヴァイオレットに勝ち目は絶対ないのだが。
ところで映画では、ヴァイオレットの胸に弾丸を打ち込んで殺す寸前まで行ったのだが、小説ではなんと至近距離から頭に打ち込んでいるのだ。いくらファージとは言え、これで生きているのは明らかに不自然で、この辺はもう一捻りするべきだったろう。
最後に統合省へ乗り込む時、映画ではシックスを短時間で救う事のみを考えていたので、邪魔をする者は排除するという考え方だったのに、小説では「全員殺してやる」と事前に宣言しているのだ。これは明らかに方向性がおかしい。 これではヴァイオレットは、小説の初めで言っているとおり、ただの殺し屋になってしまう。そして予想通りバーサーカーと化して、700人からいる兵士を皆殺しにしてしまう。 もちろん映画でも同じくバーサーカーと化すが、こちらは映像の強みで優雅さがあるし、そもそもの目的が短時間でのシックスの救出なので、無駄な殺戮ではないのである。
でも小説版でちょっと感心したのは、最後にヴァイオレットは助からないだろうと予想されるラストにした事だ。 ファージは感染してから10年しか生きられず、ヴァイオレットはせいぜいもってあと数日の命で、治療薬開発の目処がたったとはいえ、数ヶ月は確実にかかるという状況なのである。そしてヴァイオレットは戦闘でかなりの傷を負っている。つまり彼女に生き延びる術は全くないのである。
そしてなんと、どちらの手かは判らないが、戦闘で指を二本と手の一部を無くしているのだ。映画では日本刀で手のひらが血だらけになり、その止血のために銃を乱射して熱したバレルを手のひらに当てるのだが、小説では噴出する血を止めるために、なくなった指のところに当てるのである。これはかなり痛そうだ。
今回この本を読んだのは、例の髪と服の色が変わる理由が知りたかっただけなのだが、結局はただの流行で、感情で色の変化するファッションというのはあんまりであろう。これから戦闘状態に入るという人間がそんな服を着ると、本気で思っているのだろうか。 多分この作者は、あまり「戦闘の本質」が判っていないのだろうし、恐らくはGUN=KATAも理解できていないのだと思われる。まあ仕方がないといえばそうなのだが、だったらなぜそういう人間にノヴェライズを依頼したのか、理解に苦しむところだ。
とにかく普通の人がこの小説を読む意味は全くない。映画の「ウルトラヴァイオレット」を見て気にいった人であっても不要な本だろう。この本の存在価値は、写真が多いそのブック・カヴァーだけだ。
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