どんぐり1号のときどき日記
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2005年10月09日(日) ところで、ところで

 今日は一日会社である。ビル全体の清掃の管理だけなのだが、床の全面清掃なので何も出来ず、実に無駄な時間を過ごしてしまったと思う。

 ところで、その1。
 昨日、こちらの「カメラのキタムラ」へ初めて行ってみた。
 EOS7sを買うか、何らかのデジタル・カメラを買うか、現状では非常に悩んでしまっているから様々なカメラを操作してみる必要があったからである。
 ところが行ってみて驚いたのだが、なんとデジタル・カメラしか置いていない。銀塩カメラなど2台しかなく、これでカメラ屋だと標榜しているのは、お笑いであろう。少なくともヨドバシの方がはるかにマシである。もしかしたらネット販売にシフトしたのかもしれないが、やはりカメラというのは実際に触ってみないとその良さは判らない製品なのである。
 特にホールディングとスイッチ操作は、ある意味でスペックよりも重要な要素であろう。

 ところでその2。
 昨日の朝日新聞で、オタク文化を社会は容認しているか、という感じの特集を組んでいた。
 どうも一般読者はほとんどが否定的なようで、「オタクは視野が狭い」という考え方をしている人が非常に多いらしい。だがこの概念では、実は一般社会人もかなり当てはまってしまうのだが。
 実際、酒を飲むだけとかプロ野球のファンをしているだけという人は、周囲を見れば判るが恐ろしく多く、そして視野の狭さは充分実感できる。そういう視野の狭さを露呈している人がオタクを批判するなど、10年早いと思ってしまう。

 昔のマニアと呼ばれた人種は、一般的な人でありながらある種の文化に対して異様なまでに深い人を指していたのだが、あるジャンルを極めようとした場合、他のジャンルの知識が必要になるのは当然である。つまり一般人よりも視野が広くなければやっていけないのである(往年のSFファンというのもそんな人の集まりだった)。
 だから「視野が狭い」と言い切ってしまうと、それは一般人にも充分当てはまってしまう事になる。
 もっともこれは「論理のすり替えだ」と言われるかもしれないが…。

 もちろん現在のオタクと現在呼ばれている人には、視野が狭い人が多いのも事実だが、それはあるジャンルについて極めようという気概がないからなのではないだろうか。
 百科事典である事を調べようとした時に、ちょっとした事からどんどん違う事を調べ始めたという経験は誰しもが持っていると思うが、これがマニアとオタク(あるいは一般人)との根本的な違いなのではないかと思ってしまう。目的の事を調べたら終わりでは、発展性がないだろう。

 オタクとマニアの最大の違いとは、この発展性という一点だけなのかもしれない、と思ってみたりする。


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