どんぐり1号のときどき日記
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| 2005年06月20日(月) |
神狩り2、ようやく読了 |
山田正紀の「神狩り2」をようやく読み終わる。本当にえらく時間がかかってしまった。
だが時間がかかったのも当然で、なんじゃこりゃ、というのが今回の偽らざる感想だ。これでは島津圭助を出した意味など何もないし、理亜という同名別人の意味すらない。そもそも「神狩り」というテーマすらはっきりしていない。 山田正紀はどうしたというのだろう。
確かに薀蓄の部分はかなりのヴォリュームで、なかなか読ませるのだが、いかんせん肝心の物語が弱い。キャラクターがキャラクターとして成立していないし、整合性も乏しいので、イメージが散漫だ。その上ストーリーが唐突に展開する部分が多すぎて、早い話が、物語としては完全に崩壊しているのだ。 そして薀蓄の部分も、そこから先の展開が弱いためあまり役に立っていないし、そもそも薀蓄部分が本当なのか嘘なのかが良く判らない。例の聖書におけるリンゴも、本来はリッパーという物だというのは本当なのだろうか。 また、イメージとして映画から引用したシーンが多すぎて、読んでいてしらけるほどである。やはり「マトリックス」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように大ヒットした映画のヴィジュアルをイメージさせるのは、小説としては落第だろう。
そしてメインであるはずの「神の目的」が何なのか、あまりに漠然としている。というか目的がさっぱり判らないといった方がいい。あの天使でさえそうだ。 そもそも神という壮大なテーマで展開しているのに、妙にこじんまりとしていて、あれではSFとしての意味がまったくなく、ただのホラー小説と大して変わらないではないか。 というか、あの天使の描写はほとんどホラー映画のパターンである。もう少しなんとかならなかったのだろうか。せめて「サイボーク009」の天使篇のように、失敗であっても印象に残る描写が欲しかった。 やはり実質的なデビュー作である「神狩り」は傑作だったと再認識してしまう作品である。
読み終わって、どうして朝日の書評で巽孝之氏が取り上げなかったのかが良く判った。 多分、「ロシアン・ルーレット」の方が圧倒的に面白いのだろうから、今度はこちらを読まなければならない。そうしないと山田正紀を見捨ててしまう事になりそうだ。
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