2002/9/6 3:11 僕自身忘れていたが、 この日記のタイトルは、「行ってみないと分からない大学生活」だ。 長すぎて、シンプルさに欠けると思うが、そんなことはどうでもいい。
この日記、とても大学生活のことを書いているとは思えないのだ。 まあ、夏休みだから仕方ないと言ってしまえばそれまでだが。 しかし、大学生でなければこんな時期まで夏休みをやっていないのだから、 これはこれで、大学生の生活ということにしておこうか。
考えてみれば、最初に書くべきコトだったのかも知れない。 少し、大学の生活を紹介しよう。
大学は、一期制か二期制だ。 …変換してみたのだが、一期制という言葉はないらしい。 まあ、通期でもなんでもいい。とにかく、一年で1つの講義を取るのだ。 二期制は、別名セメスター制と呼ばれる。 どういう利点があるのか知らないが、最近流行していて、導入する大学が増えている。
こんな、赤本でも分かるような知識はいいとして、その先だ。 大学の日程なのだが、通期制か二期制かに関わらず、大学には夏休みがある。 大学に遊びに行くつもりの方は、ここが絶好のチャンスだ。 十分に期待してもらいたいところだ。 もちろん、遊びに行くのではなく、勉学に励みたい方にも絶好のチャンスだ。 どうしても学業に縛られがちな講義期間中と違って、夏休みはいろいろとやることができる。
大学の夏休みは長い。僕の場合は50日ほどある。 普通は、60日…、つまり、2ヶ月あるようだ。 いったいなにが違うのかと言えば、それは試験の時期だ。 僕の場合、試験は、何度も書いているように、 これから行われる。つまり、9月の中旬だ。 しかし、多くの大学では、7月の下旬に行われる。 この場合、夏休みは8月と9月すべて、ということになる。
僕の場合、9月の中旬に試験が行われたあと、再び休みが入る。 だから、結局休みの数は、夏休み前に試験を受けた人たちと変わらないのだ。 ただ、気分が違う。 2ヶ月ぶっ通しで休み続けるのと、50日と10日で分けるということになるからだ。 実際は補講が結構たくさんあるので、10日も休みはないのだが。 どちらがいいかはともかく、このようなシステムになっているのだ。
知らなかった方は驚くかも知れない。 僕も、初めはかなり驚いた。大学の夏休みというのは、信じられないほど長いのだ。 おそらく、大学の講義だけ受けていても意味がないという発想からだろう。 学生という立場を利用して、自分で自由に研究すべきなのだ。 …僕はまともに研究などしていないが。 ただまあ、この点は大学側にも問題があって、 いざ学生が研究しようと思っても、その設備をまともには使えないのだ。 そのため、結局大学にいる利点はあまりないのだ。 しかし、やはりそれは学生側にも問題がある。 初めから要求しないから、大学側も提供しようとしないのだ。
それよりも驚くのは、春休みの長さだ。 大学の講義は、4月から7月までと、10月から2月までの二期で行われる。 これは、通期の場合も変わらない。 そして、年末年始には冬休みが入る…のだが、 これを見て、気づくだろうか。 3月が、丸ごとないのだ。つまり、この間はずっと春休みなのだ。 夏休みの長さも驚きだが、それ以上に春休みが長い。 国立だと上に挙げた程度だが、それでも2月中旬には大抵終わっている。 これが私立になるとさらに早く、1月には終わっている場合がほとんどだ。
ちなみに、ここに挙げたのはすべて理系の場合だ。 僕も弟も、知人もみんな理系なのだ。 僕には、文系の知人はいない。 少なくとも、僕が文系だと知っている知人はいない。 中学の頃の知人で今まで連絡を取り合っているやつは、 みんな理系か、でなければ体育学部に行ってしまった。 体育ってのは、なんなんだろう?文系という感じでもないが…。 たぶん、生態系の学問だろうから、理系だろう。 考えてみれば、極端に狭い友人関係だ…。 僕は、理系の人間とはつきあえても、文系の人間とはつきあえないかも知れない。
こんなことはわざわざ書くまでもないことだが、 個人差こそあれ、基本的に文系と理系とでは、来る人間の性格が違う。 もし文系的な性格の人間が理系に来たとしても、 そこにいるうちに、少しずつその場の雰囲気に染まる。 少なくとも、理系にいれば、数値を無視することはできなくなる、はずだ。 僕の友人は、どんなにおおざっぱな性格の人間でもそうだ。 だが、文系だったら話はきっと違うだろう。 数値なんていくつでも、とにかく自分の感覚で話をするに違いない。 それが悪いと言っているわけではない。 だいたい、数値での説明は回りくどく、面倒くさいことが多い。 正確だが、いつもそれが最適かと言えば、そうでもないことも当然、想定できる。 人と人との心の問題などはその典型だ。 数値で語れるものではない。
大学に二年半もいると、その大学の雰囲気というのが分かる。 そして、おそらくは自分もその大学の雰囲気に染まる。 それは、高校とは比べ物にならないほどの影響力だ。 なぜなら、基本的に大学は変人が多い。 …これは、この大学だけかも知れない。 大学の選抜は、基本的に、個性を抜き出すという理想が1つ、ある。 結局は偏差値じゃないかと言ってしまえばそれまでかも知れないが、 それはともかく、そういう理想があるのだ。 もっとも、それが原因かどうかは分からない。 とにかく、なんだか知らないが、それぞれの大学にはそれぞれの大学を代表するような 変人が集まる傾向にあるようだ。
僕の知る限り、国立には、正真正銘の変人が集まる傾向にある。 まあ、国立をいくつも知っているわけではないが、 東工大あたりはかなり顕著だ。 普通に、アニメーションで用いられるような特殊な日本語を用いる人たちが存在する。 もちろん、そこまで極端な人はごく一部だと思うが。 僕の大学にも、そこまで行かなくたって、 毎日毎日熱心にガンダムについて語り、高いガンダムの図鑑を購入するような人間が存在する。
一方、私立にはそれとはまた違う変人が集まる。 僕から見たら変人であるだけで、実際は普通の人なのかも知れない。 ではどんな人間なのかと言えば、一言で言うと遊び人だ。 もちろん、これは傾向であって、 国立に遊び人がいないわけではないし、私立に変人がいないわけでもないだろう。 だが、傾向としては存在するようだ。 大学に遊びに行きたい方は、なるべく私立に行くことを薦める。 女性と知り合える確率も、私立の方が圧倒的に高いようだ。 これは、大学がどうのこうのと言う問題もあるが、 それ以上に、周囲の人間の質によるところが大きい。 国立には、合コンなどに興味のある人間は、やや集まりにくい傾向にある。 これは、大学のレベルはあまり関係なく言えるようだ。 東大から僕のいる大学まで、すべてについて言える。 少なくとも、弟のように新宿でナンパして、 他に好きな人ができたからと、あっさりその子をふってしまうような人間は 国立には少ないだろう。私立にも少ないかも知れないが。
ちなみに、東大あたりは別格だが、 中堅国立大以下の国立大と私立を比較すると、 明らかに生活のレベルが私立の方が高い、という傾向が現れる。 弟は私立に行っているのだが、 その弟の友人は、誰もが50万円を超えるほどのバイクを持っている。 弟がローンに苦しみ、必死に購入したようなバイクを なんの苦労もせずに買ってもらっているのだ。 もちろん、そんなやつばかりではないが、私立大というのは、 相対的にそういう人間が増える。 当たり前の話ではあるが、東大はたぶん、もっとレベルが高いだろう。 ボンボンとかお嬢様とか呼ばれるようなすさまじい金持ちがいる可能性は高い。 まあ、慶応の方がもっとその比率は高いだろうが。
ああ、手が痛い。 長時間キーボードを使い続けると手首が痛くなる。 ずっと手首を浮かせる不自然な姿勢を続けるせいだろう。 だから、低いノートPCのキーボードの方がいいのだ。 今のもらってきたキーボードも、決して悪くはないのだが。
あと、大学生活の特徴としては、 大学にもよるが、基本的に、ホームルームに相当する概念がない。 場所によっては学生会館という居場所が存在するらしいのだが、 少なくとも、僕のいる大学にはそんな気の利いたものはない。 だから、本当に落ち着ける場所がない。 結局、自習室や、進路相談室などに集まることになる。 まあ、ロビーなどの方が人は多いのだが。 基本的に教室にいれば良かった高校までと比べると、 どこでどうしていいのか困ることは多くなるだろう。 ちなみに、落ち着ける場所がないということは、 荷物を一日中持ち歩くということにもなる。 安心して荷物を置いておける場所もないのだ。 これは、大学によってはロッカーなどを貸してくれる場合もある。 少なくとも、僕の大学はそうだ。 だが、設備の良さそうな印象のある私立は逆に、 このようなロッカーなどはないようだ。学生数が違うからそれも当然だとは思うが。
あと、これも行かなくたって分かることだが、 基本的に、生活設備は私立の方が圧倒的にいい。 高い金を取っているだけのことはある。 もっとも、東京理科大のような例外も存在するので注意が必要だ。 僕のいる大学は、今年になってようやくほとんど(すべてではない)の教室に クーラーが設置されたような状況だが、 私立の場合、クーラーの設置など、もはや常識だ。 クーラーどころか、エアコンが設置されていることだろう。 また、講義用の設備もかなり違う。 僕の大学の場合はプロジェクタは教官がどこからともなく持ってきたり、 教室のロッカーの中から取り出したりしているが、 私立の場合は教室にあらかじめ設置されている方が普通のようだ。
また、これは僕のいる大学だけの特殊な事情かも知れないが、 大学と言えば大きな教室で、教官がいる教壇を、 グルッと階段状になった机といすが取り囲んでいる様子をイメージするかも知れない。 しかし、そうでない場合もまれにはあるのだ。 僕の大学では、ほとんどの教室に、 高校までと同じような学校用の机といすが設置され、 教官は高校と同じような教壇に立って講義する。 OHPやプロジェクタを使わなければ、とても高校までの授業と区別は付かない。 大学だけでなく、大学院もそんな状況だ。 …それはそれでいいとは思うが。なんと言っても少人数教育だ。 別に皮肉ではなく、本当に少人数の講義は良い。 混まないし、席を争う必要はないし、声は良く聞こえるし、黒板もよく見えるし、 質問をしようと思えばすぐにできるし、両隣に人がいないので気楽だし、メリットは数多い。 大学に来た気がしないとか、 あまり教官が近いと、大学特有の教官に対する畏敬の念などを抱きにくいとか、 そんな問題はあるだろうが、学生側から見れば、たいした問題ではない。
あと、これだって大学にもよるだろうが、 どんな大学にも多かれ少なかれ存在する問題だ。 それは、バカが多い、ということ。 一人一人を連れてくれば、決して頭の悪い人間ではない。 IQの平均は100と言われるが、大学生だけに限定すれば、その値は120まで上がるのだ。 IQがいいから頭がいいということにはならないが、 少なくとも、ある程度優秀と認められた人間でなければ、大学には来ない。 にもかかわらず、少々常識が欠如している、という人間が大勢集まることで、 講義中に私語をするとか、カンニングをするとか、 そういう大学生にあるまじき行為をする人間が現れる。 これは私立に多いと聞くが、おそらくは学生数の多いことが原因だろう。 夢を見て大学に来ると、おそらくは幻滅する。 自分で入学してきたときには分からなかったが、 編入生が日に日に落胆していく様子を見て、 大学の惨状がいかばかりであるか、思い知ることになった。 まあ、その編入生の要求水準が高かった、ということもあるだろうが…。
それから単位認定の仕組みだが、 基本的に、講義を受ける前か、受け始めた頃に、 履修申請という書類を、大学の教務課に提出する。 提出しなければ単位は一切認定されない。 普通、忘れることはないだろうが、 万が一提出しなかったりしたら、それだけで卒業がおぼつかなくなる大事な書類だ。 そして、この履修申請に記された科目を履修し、レポートや試験で成績評価を行う。 僕の大学の場合は、3分の2以上出席すれば出席基準を満たすことになっている。 6割で可、7割で良、8割以上で優というのが基本だが、 弟の大学の場合、A,B,C,D,E,Fの6段階で評価される。 なんだかいろいろあるようだが、詳しいことは忘れた。 ちなみに、うちの大学の場合は少々特殊で、 なにをやっても絶対「不可」という成績がつかない。 未履修と不可は同じ扱いなのだ。
ここから先は、現役の大学生や卒業生でも知っている人間は少ないと思うのだが、 編入生の場合、単位認定はさらに特殊になる。 入学前にやってきたことに対しては、優も良も可もつかない。 すべて「認定」と記される。 この単位認定の基準がひどくいい加減で、 聞いた話によると、生産工学の単位が、生物工学の単位として認定されるということもあったらしい。 生産工学は工場管理の学問で、おそらく、 僕が専攻している流通に近い分野だろう。実際、工場管理手法もいくつか学んだ。 MRPという手法が二種類ある。 それに対して、生物工学はバイオテクノロジー、遺伝子の話だ。 計画手法と遺伝子工学。つながりはないに等しいと言える。 あえて言うならば、どちらも工学ということだろうか…?
また、僕の大学では上位の学年の単位は履修できないのだが、 編入生の単位認定の際は、そんなこともすべて無視される。 まあ、確かに、今までやって来たのだから認定されるというのは分かる気もするが。 逆に、どんなに基礎的な内容であっても、 認定されなければすべて履修しなければならない。 だから、ロジスティクスという分野の各論…、施設計画手法や、 流通管理費用分析などの単位を認定されていても、 もっとも基礎の部分であるロジスティクス概論の単位が認定されていなければ、 その単位は講義を受けて取得しなければならないのだ。
余談だが、ロジスティクスというのはそもそも兵站学の意味だが、 日本の大学で、兵士の配置について学ぶことなど、あるはずがない。 あるとしたら、せいぜい防衛大学校くらいだろう。 ここから意味を転じて、今では物資や情報の流通についての学問ということになっている。 ちなみに、この日記にも一度定義を載せたが、 定義は学者によって千差万別。結局のところはっきりしないというのが現実のようだ。 確か、物資や情報を最適なフローとストックを使って最適な時間に最適な場所へ配置する、 サプライチェインの一部、のはずだ。 やたら最適な最適な、と言っているが、 これは5Rと言って、Right…。 以下省略。とにかく、Rightから始まる5つの言葉で説明されているのだ。 このくらい、覚えておかなければならないのだが…。
サプライチェインというのは、生産から消費までの、商品やサービスの一連の流れを指す。 最近では消費側から生産側へ逆流するリサイクルなんかもあって、ますますややこしい。 このサプライチェインを効果的に扱う手法をサプライチェインマネジメントと言って、 アメリカでは花形の分野なのだそうだ。 …既得権益者が幅を利かせている日本では、なかなか普及していないようだが。 まあ、そのうち立ちゆかなくなって普及することだろう。
なんだか話が逸れてしまったが、他に大学生活の特徴はあるだろうか…。 ああ、そうそう。 いないとは思うが、心臓病の既往歴があるだなんて健康診断で言うと、 精密検査を受けるまでスポーツの講義(?)に参加できなくなる。 このため、僕は危うくスポーツの単位を落としそうになった。 ちなみに、僕には先天性の心房中隔欠損の既往歴があるのだ。 ATOKでも変換できないややこしい名前だが、 英語の略称で言ってしまえばASDという極めて単純な名前になる。 キーボードでは、Aから順番に右に叩いていけばいい。 Artial Septal Defet、だそうだ。
物心つく前に治ってしまったので、 この精密検査を受けるまでは、心房中隔欠損なのか、心室中隔欠損なのか、 どちらなのか知らなかった。それがはっきりしたというのが、唯一の良かったことだろうか。 ああ、そうそう。 心雑音を聞く検査の時は、相当長い時間…、僕の感覚では30分くらい、 看護婦さんに抱きかかえられて、膝の上に乗せられて心臓の音を聴かれた。 なぜそんなことをしたのか分からなかったが、結構嬉しかった。 この検査、なぜか僕1人に看護婦が3人付いていた。 そういう理由なのかどうかは知らないが、予約をしてから検査を受けるまで一ヶ月以上かかった。 もうひとつ検査があって、それは機械の上を必死に走って、 きついとかきつくないとか申告する検査だ。 とても、心臓病かも知れない人間に対してする検査とは思えない。
ちょっと調べてみたら不安になってしまった。 子どもに遺伝することもあるらしい。 僕と結婚する人は注意して欲しいものだ。 どうやって注意するのか知らないが…。
それにしても驚いたのが、検索のヒット数。 なんと、「心房中隔欠損」などというややこしい名前で、2120件もヒットしたのだ。 心室中隔欠損が2410件なので、だいたい同じくらいと言えるだろう。 ちなみにこの心房中隔欠損、自然治癒するのはそこまで多くはないようだ。 自分の幸運に感謝しよう。 ただまあ、多少、肺が弱い感じはする。 持久走などをやると、血を吐きそうになる。 血のにおいがこみ上げてくるだけで、実際に吐いたことはないが。
ああ、そうだ。これが参考になるかも知れない。 大学生ともなると、激しい運動をすることは極めて少ない。 上記のように、僕は多少虚弱体質っぽいのだが、それでも、 肉体的に疲れると感じることはほとんどない。 大学の構造にもよるが、肉体的な心配はまずないと言っていい。 もちろん、運動系のサークルに入ったらまた別だが。
それにしても、改めて病気のことを調べると不安になる…。 精密検査を受けておいて良かったかも知れない。 この気分は、他人には分かるまい。 自分だって、自分がなんでこんなに不安になるのか理解できないのだ。 久しぶりだ。こんなに不安な気分は。
さて、そろそろ限界かな。 結局夜更かししてしまった。 書きたいことはいろいろあったが、メモを取ってあるし、また明日にすることにする。
2002/9/7 5:52
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