| 2002年08月07日(水) |
インターネットで学んだコミュニケーションの基本 |
2002/8/7 18:07 たぶん、これからもいろいろと気づくことがあるだろう。 今日は、その第一弾だ。 と言っても、たぶん多くの人にとっては常識で、わざわざ述べるほどのことはないのかもしれない。
前から言っているハピタンの場合、普通の掲示板とは違った特徴がある。 まず、第一に参加者が多いということ。 通常、これだけの人数が集まってしまったら、CGIのプログラムは動作しない。 登録者総数は、現時点で48438人もいるのだ。 しかも、これで全部ではない。関連のサイト、モーハには9728人、ミルタンには2404人の登録者がいる。 重複も相当数あると考えられるが、 少なくとも、2638人もの人数が同時に接続して動作するCGIプログラムを、僕はほかに知らない。 もちろん、サーバに与える付加はすさまじいものがあるらしく、 サーバがダウンすることなど、そう珍しいことではなかった。 最近はサーバの交換や運営になれてきたこともあって そのような事態はだいぶ減っているようだが。 余談だが、上記のミルタンは、運営開始から一週間しかたっていない。 それでこれだけの会員を集めるというのはなかなかすさまじい集客力だ。 インターネットに求められるコミュニティの要素。 しかし、それをうまく満たす場はあまりに少ない。 個人の掲示板は多くの人が集まらないし、 多くの人が集まる掲示板というと、2chが真っ先に出てきてしまう。 見たことのない方は行ってみるといいが、 PCやインターネットにあまり縁のない人が近づける世界ではない。 僕はインターネットを使い始めて確か4年目になるはずだが、 それでも、あそこでの話題は理解すらできないことも多い。
これを解決すべく、開発された1つのコミュニティとして、 MSNのコミュニティがある。 しかし、これも大きな問題を抱える。 そもそも、コミュニティとして成立させるのが極めて難しいのだ。 なぜなら、自分で1つのコミュニティを成立させるのだが、 それだけでは誰も来ないからだ。 試しに僕もここでコミュニティを作ってみたが、 当然の事ながら、書き込みなど1つもない。 当たり前だ。誰にも教えていないのだから、誰かが来るはずもない。
Infoseekにも似たようなサービスがある。 こちらはMSNと比較すると成功していると言えるが、 それでも、コミュニティとしての要素が薄いことは確かだ。 ただ、上記の2つには、ハピタンなどが抱える欠点がないことも事実だ。
それでこのハピタンなどだが、 まず、考えるべきはこのネーミングだ。 荒らしをするような人間は、大抵の場合、自分のレベルが高いと勘違いしているだろう。 言い方を変えれば、自分のした行為で右往左往する人間を 1つ高い視点から嗤っていたいのだ。 しかし、このようなコミュニティの場合、その辺の対策がしっかりしている上、 この気を抜くようなネーミングではそのような人間を寄せ付けにくいだろう。 対策がしっかりしているので自分のした行為の結果が見定めにくい上、 行為の結果が見えたとしても、「ハピタン」ではどこかむなしい。
さらに、書き込みを多くさせるような工夫に富んでいる。 そもそも、ネーミング以外の雰囲気も、比較的子どもじみていて、 女性や子どもが近づきやすい雰囲気がある。 逆に言えば男には近づきにくい雰囲気とも言える。 僕は細かいことを気にしない性格だったし、SHARPのインパクサイト「あけぼのシティ」という前段があった。 そうでもなければ、普通の男は来にくいはずだ。
極めて当たり前で述べる必要もないことだが、 その場を構成する人間が、その場に与える影響は極めて大きい。 その人間が、女性や子どもばかりになるということは、 それだけその場の雰囲気を和ませる。 ひきこもりの男ばかりが集まっているような2chとは一線を画すことができるのだ。 ちなみに、僕が見る限り一番多いのは女子中学生で、次に多いのは主婦だ。 あとはよく分からない。男の大学生が少ないのは確かだ。 ちなみに、男女比は公表されている。「自称」なのではっきりとはしないが、 おおよそ7対3から8対2と言っていいだろう。 もちろん、多い方が女性だ。
さらに、レベルという要素をもうけることで書き込みを促した。 書き込みをたくさんすればレベルが上がるのだ。 これ以外に、お金というのもある。書き込みをするとお金がもらえることがあるのだ。 さらに、新規登録者はすべて公表することで、 新規登録者がいきなりつまずくのを防いでいる。 試しに登録してみると分かるが、10件以上の書き込みが、すぐに来るはずだ。
これから食事をして塾へ向かう。 続きはそのあとに書くことにする。
2002/8/7 18:37
2002/8/7 19:52 結局、塾へは行かなかった。 金のない弟が代わりに行くと言って行ってしまったからだ。 ここの塾は、給料がその場で手に入る。 だから、すぐに金の欲しい弟にはたまらないのだろう。 そう言えば、その塾の先生が前の飲み会の時、 ホームページを作りたいから来てくれと言っていた。 ホームページを作りたいと言われても、僕にはそんな技術はない。 デザインセンスは弟に頼るとしても、どうしたらいいのだろう? もちろん、FTPを使って上げるくらいのことはできるが、 この程度のことだったらたぶん、弟でもできる。
それで、ずっとハピタンの特徴について述べてきたわけだが、 上記のような工夫によって、ハピタンはコミュニティとして成功を収め、 多くの登録者を集めている。 当たり前だが、これらは営利目的だ。 このハピタンを運営しているコミュースタイルという会社のページは、 昔はひどいものがあった。 客を囲い込むための手段とか、そのようなことを平気で書いてあったのだ。 露悪的と言っていいほどだ。今はそれほどでもないが。
結局なにが言いたいのかということだが、 これだけ盛んにコミュニケーションがなされていると、 まったく知らない人に対する機会が極めて多くなる。 すると、そのような場合にどう対処すればいいのか練習する機会が増えるのだ。 前にも述べたが、これで僕は少しコミュニケーションというものを学んだ、 当たり前だが、自分も人間なら、相手も同じ人間だ。 自分がとまどっている場合、大抵は相手もとまどっている。 自分のところには書き込んで欲しいけど、他の人のところに書き込んだら迷惑かな、 と思っているとき、大抵相手も同じ事を考えている。 そのような心理が少し見えてきたのだ。
そこで重要になってくる点が1つ見えてきた。 今までの話はほとんど関連してこないのだが、 話をするとき、自分の話をするか、相手の話をするか、だ。 人間は基本的に自己中心的だから、 2人で話しているとき、相手の話になるよりも、自分の話になる方が楽しいと考えられる。 もちろん、これには個人差が大きいだろう。 僕の場合は相手の話を聞く方が好きだ。 これは、僕が自己中心的でないと言っているわけではなくて、そういう考え方をする人間もいるということだ。 僕だって自己中心的な人間であることは疑いようのない事実だ。 そして、それが悪いことだとは思わない。
基本的には相手の話をすることが無難だと言える。 ただ、世の中には自分のことに関して干渉されることを強く嫌う人間もいる。 プライバシーと言うと分かりやすいかもしれない。 自分の情報を守ることを、強く意識している人間もいるということだ。 ましてや、インターネットならなおさらだ。 僕のように、自分の思考を露呈することが楽しいと考える人間など少数に違いない。
このような場合、自分のことについて話をする方がいいとも言える。 もちろん、自分とも相手とも関係ない話をすることもできる。 しかし、それでは自分のことを知らせることも、相手のことを知ることもできない。 話題から間接的に、そのような問題に興味があるということを示すことはできるが、 直接自分、もしくは相手のことを話題にする場合とは比べるべくもないほど、 互いの理解は浅いものになろう。
だから、話をするときに、まずどちらの話をするのかを明確にすること。 これが重要なのではないかと思ったのだ。 なんの問題もなく話が進んでいる間はどうだっていいのだが、 話に詰まったときなど、ここをはっきりさせておけば考えを絞りやすい。
それで今日は、相変わらず述べるべき事は何もしていない。 太陽の季節のこともすっかり忘れていたし、 家にいなかったのでWebページも作っていない。 やろうと思っていたことも全然できていない気がする。 こんな事ではいけないと思うのだが…。
最近、またストップエラーが増えてきた。 NT系のOSだけで起きるのかと思っていたが、 症状こそ違うが、Windows 98SEでも同じようなことが起こるようになった。 不正な処理をしたので終了します、というやつだ。 とりあえず、メモリでもさし直してみるか…。 まあ、メモリの接触不良なんて原因ではないと思うのだが…。
なんだか分からないが、妙な疲れを感じる。 やはり、自律神経のせいと言うよりも、夏バテと言った方がしっくりきそうだ。 まあ、よく分からないと言ってしまえばそれまでだが。 医者に行くほどではないのは確かだ。
デジカメを使っていて、 おもしろい機能があることに気づいた。 それは、シャッタースピードの自動調節機能だ。 ほかのデジカメに搭載されているのかどうかは知らないが、 フラッシュをたかないように設定すると、 自動的にシャッタースピードを調整し、必要な明るさが得られるまで シャッターを開いておくようだ。 しかし、僕は写真を撮るのがかなり下手だ。 そのため、シャッタースピードが遅いと写真がかなりブレる。 説明書に取り方のコツが載っていたが、 僕はなぜか、何もしていなくても、手がいつも少し震える。 そのため、写真がぶれるのだ。 タバコの副流煙を毎日吸って過ごした弊害かもしれない。
ほかにも、本当に多種多様な機能がある。 買ったときにも機能がやたら多いと感じていたが、 買ってみるとますますその感を強くした。 白黒写真のモードなど、ほかのデジカメでは見たことがない。 まあ、あえて言うなら、 640*480の解像度でも、最高画質で写真を撮れるようにして欲しかった。 僕は基本的に、この解像度以外で写真を撮る気がないからだ。 あまり大きな写真は扱いに困る。 小さい方がPCの画面で見るときに扱いやすいのだ。
9時になった。 そろそろ塾が終わる頃だ。 生徒からプレゼントがあるというメールが来たが、 いったい何なのだろう? なぜ僕にプレゼントをくれるのだろう? いったい何を考えているのだろう? まさか、僕に気があるのか? …さすがにそんなことはないと思うが、それにしても気になる。 考えられるもっとも大きな要因としては、バレンタインの法則が上げられる。
侍魂という大規模なページに載せられたので知っている方もいるだろうが、 バレンタインのチョコレートは、1ヶ月後に回収するために存在するという、 ひがみとしか思えないような考え方がある。 最近ではかなり有名になったが、3月14日はホワイトデーと言って、 一般に飴を返すことになっている。 この、「飴」というのがミソだ。 チョコレートならまだ分かるが、男が本気で飴を返すことなど、 まずあり得ないと言っていい。 その場合何を返すかということになるのだが、 典型となる品物が存在しない以上、それ相応の品物を返すことになる。 僕の知っている限りで一般的なのは、時計やアクセサリなどだ。 これを女性の側から見るとどうなるか? わずかな投資と手間でチョコレートをプレゼントしただけで、 一ヶ月後には高い確率で何倍もの価格の品物が手に入る、ということになる。
この生徒も、こいつを狙っていることが考えられる。 僕は大学生で、相手は中学生だ。 もちろん、返さなければならないわけではないから そのままもらいっぱなしで「ありがとう」とだけ言っておくこともできるが、 さすがにそれはちょっと問題だろう。
別に、どんな意図があっても構わないのだが。 プレゼントをもらえることは素直に嬉しいと思うし、 もらった以上はそれなりのことをするのもまた当然のことだ。 こんな風に勘ぐることの方がおかしい。 それにしても、何をくれるのかな? 前にアクセサリと言っていたが、そういうものなのだろうか? アクセサリなら、安くてもいいものはたくさんある。 返すならそんなものがいいかな? …と言っても、相手の趣味がまったく読めないのだが。
彼女とのことと、この生徒とのこと。 それ以外にも、いろいろな人との関係がある。 僕の場合、インターネットがあるおかげでその幅が広がった。 ただ、別にインターネットなんてなくても、 人間関係は様々な形が存在しうる。 街の中で出会ったというのもあるし、親戚関係なんていうのもある。 思うのだが、どのような形で出会ったかで、 その人間関係はある程度決まってくるんじゃないかと思う。 それは、いわば無意識の先入観による人間関係だ。 知らないうちに抱いていた先入観が、第一印象と同じか、 それ以上の強さで作用するんじゃないかと、僕は思う。
大学での人間関係は、 ある程度自分の意志が入る余地があるとは言え、 基本的にはそれぞれバラバラに、同一の場所を目指してきた者が集うに過ぎない。 それ故、望んで一緒になったわけではないという印象がどうしてもつきまとう。 もちろん、人間関係を築いて長くたてば、そのような印象は消えていくだろうが。 あとは、その大学そのものの印象が強く影響する。 僕は、かなり偏差値の低い大学にいる。だから、まわりの人間も、 少なくとも学業成績は大したことないのではないか、と思ってしまうのだ。
それに対してインターネットの人間関係は、 自分から相手を探しに行って、自分から能動的に出会った印象を強く受ける。 実際にどうあったかどうかは別だ。 相手から接触してきたとしても、少なくともその環境へ飛び込んだのは自分自身であり、 自分が望んだ人間関係であるという印象を受けやすいと考えられる。 また、インターネットでは相手がどんな人間なのかまったく分からない。 だから、雑音の影響を受けにくいということがある。 ということは、実際に相手が発信してくる情報だけで相手を判断することになる。 この場合、相手が発信してくる情報に、自分にマイナスになるようなことが入っているとは考えにくい。 そのため、必然的に、第一印象が良くなる。 その後の印象も、プラスイメージばかりが募ることが否定できないのだ。 普通の人間は、自分のマイナス面を巧妙に、無意識に隠すからだ。 僕だってなるべく正直にこの日記を書いているつもりではいるが、 それでも、確実に自分のマイナス面を隠しているはずだ。 そして、僕なりに自分のプラスイメージを主張しているはずだ。 それは、例え僕にそのつもりがなくても、だ。
このように、どのように出会ったかということは、 第一印象と同じか、それ以上に重要なことなのではないかと考えられる。 このこと自体が第一印象とも言えるが…。 第一印象と違うのは、その後もずっと影響するということだ。 大学での人間関係は、大学を卒業しない限りずっと変わらない。 インターネットも同様だ。インターネットという媒体を使っている限り、ずっと変わりはしない。
僕は、第一印象なんてのはそれほど重要じゃないと思う。 あれだけさんざん思い返している彼女の第一印象だって、 僕はもう、ほとんど覚えちゃいない。 たぶん、僕だけじゃないと思う。 人間なんてみんな、忘れる生き物だ。 細かいことまでなんでも覚えている人の方がむしろ珍しいだろう。
人間関係を築く上で、 僕は基本的に、年下とつきあうのが一番得意だ。 もちろん、これは僕から見た印象で、相手がどう思っているのかは知らない。 理由は極めて簡単だ。 どういうわけか知らないが、歳が下の人間に対しては、 ただその年齢だけを理由にして、高圧的な態度をとる人間が多く存在する。 だから、なんのことはない。 僕は口調だけちょっと年上ぶって、あとは同い年の人と接するようにしていればいいのだ。 それだけで、ほかの「年上の人」と差別化できる。
そうするのは、もちろん理由がある。 僕は、ほかの「年上の人」のように、年下の人間に対して 偉そうな態度をとれるほどの、知識も経験もない。 堂々と語れるだけの言葉を持たないのだ。 だから僕は、相手が年下であっても、せいぜい自分の考えを示すだけだ。 指導することなどできはしない。
たぶん彼女は、どのような相手であれ、 少なからず「指導」されることを望んでいる。 相手が年上とか年下とか、そういうことに関わらず、だ。 たぶん彼女は、選択肢を他人に示してもらうのに慣れているのだろう。 僕だって、似たようなものだ。 彼女の場合は特に、大学受験を経験していない。 高専と大学は、同系列の内容を扱っており、 その高専から来るにはこの大学に来るしかない、という状況になっている。 示された選択肢から選ぶだけ、という人生を送ってきたことは、十分に考えられる。
もちろん、悪いとは言わない。 それは、その人の考え方次第だ。 一般に、人生の岐路に立ったとき、すぐに示されるのは安定して確実な選択だ。 ハイリスクハイリターンの選択ほど、自分で見つけださなければならないという傾向が強い。 僕もそうだが、大きなリスクを冒してまで達成したい目標がないのであれば、 多くの人が選び、安易に見える選択をすることは決して間違いではないと思う。
…今までのこともすべてそうだが、 彼女のことは、すべて想像するしかない。 実際の彼女がどんな人間なのか、僕はまだ、何も知らない。 強い意志と明確な目標を持ち、自分に足りないものを補うために大学に来ているのかもしれないし、 その目標は大学とはまったく関係ないことなのかもしれない。 逆に、なんの意志も持たず周囲に流されて選び取り続け、 何ら目標を定めていないのかもしれない。 このような大きな違いすら、僕には見極めることはできない。 本当に、何も知らない…。
デジカメなのだが、 写真部の友人にブレないように撮る方法を聞いて、 基本的な機能が欠如していることに気づいた。 セルフタイマーと、三脚だ。 セルフタイマーの機能がそもそもないし、三脚を取り付ける場所もない。 意外な欠点…!
物足りない気はするが、 量だけ見れば、もう充分書いている。 時間もかなり浪費している。 こんなところでいいとしよう。
2002/8/7 22:57
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