カタルシス
DiaryINDEXpastwill


2007年04月22日(日)  明日を夢見て 

早稲田松竹にて ケン・ローチ監督作品2本立て上映

1本目
『麦の穂をゆらす風』鑑賞

【あらすじ】
1920年、アイルランド。英国による支配からの独立を求め、若者たちが冷酷な英国軍に立ち向かうために義勇軍を結成する。ダミアンもまた医者としての将来を捨て、兄テディと共に過酷な戦いに身を投じていく。彼らの激しいゲリラ戦は英国軍を苦しめ、ついに彼らは独立を手にし和平条約にこぎつける。しかしやっと訪れた平和もつかの間、条約の内容をめぐる支持派と反対派の分裂はやがて内戦へと発展する。それは共に戦ってきた同志たちが互いを敵に回すさらなる流血の戦いを意味していた。そして戦いはダミアンとテディの兄弟の絆にも暗い影を落としていく…。(シネカノン公式サイトより)


・・・覚悟はしていたつもりでしたが 重かった!(半泣)
テーマがテーマなだけに ものすごくやるせないです
国家も宗教も人間も 何もかもがイヤになってくるよ 差別ってなんだよ 弾圧って意味あんの?

目先の僅かな私益のために どれほどのモノを壊し失い 永劫の憎悪と凄惨な世界を生み出すことの愚かさが
100年近くを経た現在に至っても尚 何一つ変わっていないエゴと無情に

一体人は 何を感じるのだろう


----------------------------------


2本目
『明日へのチケット』鑑賞

【あらすじ】
中央ヨーロッパからローマへと走る列車内を舞台に、偶然乗り合わせた人々のドラマを巨匠たちが巧みに織り上げ描いたオムニバス作品。 出張先で出会った女性へ淡い思いを馳せる年配ビジネスマン、夫の墓参りに向かう傲慢な老婦人にボランティアとして付き添う若者、父と再会するためにローマへ向かう貧しい移民の一家、そして念願のサッカーの試合を見るためになけなしの金をはたいて旅をするスコットランドの3人の少年たち。たった一枚のチケットの限りない価値。ひとつの列車の旅が、様々な人生を映し出していく。(シネカノン公式サイトより)


ケン・ローチ好きの妹の強い勧めにより この順番で観ることにしたのですが 従って正解でした こっちは少し救いがあった ほんのり笑える
3つの小さな物語がオムニバスで構成されているのですが どれもちょっと皮肉が利いていて ケン・ローチならではの低階層からの目線で描かれています 撮影の手法もこっちの方がケン・ローチっぽい雰囲気 麦の穂はちょっと大仰だった所為か映像からは彼の雰囲気が読み取れませんでした 「虐げられる立場からの目線」と「何故こうなってしまうのだろう・・・」的な無情感はやっぱり彼の路線だと思いましたが(苦笑)

チケットだったら1つ目の話が後味良い目だったかな 2つ目は話が解決されてないし 3つ目に至っては納得がいかない終わり方されたので

弱く貧しい人の味方なんだろうけど それらの人々が清廉潔白な善人な訳じゃないっていうのも描きたいんだろうけれども 貧しさを盾に憐れみを請うて私益へ転嫁するのに 裕福じゃない相手を選ぶっていう根性とか 人の良さにつけ込む抜け目なさがムカつくし それを可哀相ぶって許してもらおうという強かさがあざとい ぶっちゃけあのトラブル 他の方法でも回避できたと思うんだけどね私 まず自力で解決できる手段を考えろよ馬鹿者どもめ やっていいズルと良くないズルはあると思うし なんだか誇りもへったくれも持ってない人たちなんだなぁと 少しガッカリもしたさ 何被害者ぶってんだあの家族 親切にしてもらった相手を踏みつけて自分らだけ何もなかったみたいに幸せを追おうなんて 超級のエゴイストじゃないか

妹は意外がってましたが 私はあの3つ目の話 途中は結構笑えもしますが まとめ方がムカつきました


----------------------------------


新宿THEATER TOPS にて モダンスイマーズ公演
『回転する夜』観劇
 
【あらすじ】
男は「あの夜」周囲の人間たちに決定的に打ちのめされ、すべてを奪われた。それ以来、「あの夜の出来事」はある種のトラウマとなり、男の中で幾度となく繰り返されるようになる。同じ人間が同じ時間に現れ、同じことが起こるようになる。そのたびに今夜こそ「あの夜」と決別しようと男は決意するのだが…。(TOKYO HEAD LINE webより)


内容全然知らずに 客演の高田聖子さん目当てなだけでチケット手配しました だって3300円だったんだもん 小劇場で出演者も6人だけで 聖子さんが見られるってのは それだけでオイシイ要素だったんだい!!

それでも実際観てみたら これが結構面白いお芝居でした 部分的に放置状態の設定とかがあるにはあったけど そんなん割と普通みたいだしね(←「設定放置」は新感線だと滅多にないので一般的なラインが微妙なんですが)

風邪で寝込んでいる主人公が 夜中に目を覚まし喉の渇きを潤して窓を開ける 吹き込んでくる風 小さく聞こえるラジオニュース 病状をうかがいにきた義姉が部屋をノックし 体温計を渡されて熱を測る 話の最後に差し出される求人広告 義姉が去り一人になった主人公は再びベッドにもぐり込む 寝入って見るのはいつも決まって 過ぎ去ったはずのある日の夢

目を覚ましてからの一連の動きが 夢を挟んで何度も何度も繰り返されて 夢と現実の堺目が段々解らなくなってくる 大筋は同じことの繰り返しなのに 細部は毎回少しずつ違っていて そんな「夢」と「現実」をぐるぐる ぐるぐる・・・

現実世界を前に進めず ひとつどころでグダグダくだ巻いている様子を表現してるんだろうと 私は解釈したんですが 創作側の意図が正しく読み取れているかは解りません 最後の最後で繰り返しが終わり ようやく迎えられた「朝」は 前進を意味していたんではないかなと ぐるぐるから抜け出せた瞬間の表現だったんじゃないかなと

そんな印象でした

同じことが繰り返されて その繰り返しに本人が薄ら気づいている っていう設定なのがわかったとき 瞬時に連想したのが佐々木淳子の『霧ではじまる日』という古い漫画でした 同じ24時間が延々と繰り返されるという「閉鎖した時間=タイムターン」ものです といってもこちらは本当に全く同じことが毎日繰り返されているので “いつもと違うこと”が起こると人々は動揺したり怖がったりします しかし ある人物が敢えて“いつもと違うこと”を起こして 輪廻を終わらせようとする そんなSF少女漫画です

話が反れますが この作家さんのSFはスゴイです 相当のベテラン作家なので絵柄なんかは古めかしく見えますが 話の内容は全然今でもイケちゃう感じ つか あまり時代を選ばない内容のものが多いです 頭の中のSFさ加減は清水玲子と張っていると思う 多分どっちも天才

⇒●佐々木淳子 オフィシャルサイト
⇒●清水玲子(コミケイト特設ページ)

舞台に話を戻すと
脚本・演出を担当している蓬莱竜太氏の匙加減と 少数精鋭の役者陣が ウマい具合に合わさっていたと思います 約1時間半の短めなお芝居でしたが なかなかに考えさせられましたし 終わり方も爽快な印象で一日のシメにするには悪くなかったです

全編を通して台詞は方言が使われていましたが 「〜するきに」とか「〜け?」とか言っていて 「今夜は凪やね」という台詞から海近い街らしいこともわかったので 瀬戸内とか四国の方の言葉かなぁ?と思ってましたが 語尾を「〜ま」で止めたり 人を罵るのに「だら」って言葉を使っていたのが印象的だったので あとで検索してみたら金沢の方言だったっぽい?
ちらほら地名も出てきていたんですが 全然解らん土地の名前だったんで覚えられず・・・(^^;)ゞ
聖子さんは若い頃に東京から来た"よそ者"なんですが 来て間もない頃のエピソードでは標準語 その後数年経っている場面では土地の人と同じ言葉を喋っています 言葉だけじゃなく口調でも「月日の経過」が分かる人物像になっていました

退場の際 客席で*pnish*のツッチーこと土屋裕一氏を見かけました 見かけたというか 小さな劇場だったので客席から出口まで並んで歩いとったヨ(苦笑)向こうは我々のことなんか知らないだろうけど こっちは友人にヘビィなファンがいてるもんで やたら身近なイメージがある人なんですわいな(←その人だったら彼にも顔パス)
しかし 特別詳しいわけでもファンなわけでもないので声をかけることもできず 会場を離れてから友人に宛てて 「ツッチーが来てたよ!」 とメールで報告するのみで終わったのでした(苦笑)

そういや雨降るっていうから一日中傘持って歩いてたのに 家帰るまで結局降られなかったナー 私が普通サイズの傘を持ち歩くと雨が降らないってジンクスは結構有力なんだゼ!(自虐)
 

『明日を夢見て』1995年/イタリア

 


DiaryINDEXpastwill
kore |MAIL