今朝、フジテレビの番組で取り上げていた、47歳で出産したと いうご夫婦の話。 卵子を第三者から提供してもらっての妊娠・出産だった。 40歳から不妊治療を始めたということだったが、40代では、 妊娠の可能性は10%だと言われたらしい。
自分が妊娠する前は、この手の番組というか話題は見ないように していた。 子供が欲しいと思うこと、そのために検査して不妊治療をするこ とが取り上げられる度、自分が責められているような気がした。
38歳で結婚して子供が出来なかったから、なぜ検査しないのか、 なぜ不妊治療をしないのかと言われているような気がした。 検査も不妊治療もしないのは、そんなに子供が欲しくないからだ ろうと言われている気がした。
だから、そこから目を逸らしていた。
自然妊娠したからといって、その手の番組や話題が平気になった わけではない。 はたして自分は、そこまでして子供が欲しかったかという気持ち は、まだどこかにあるのだ。 できないものはできないではいけないのか。 今の時代ならば、なんとでもなるからなんとかするのか。 それでいいのか。
自分が原因で子供が出来ないのだとわかったときの、配偶者への 申し訳なさや、逆だった場合の配偶者への思いやり。 そこまで覚悟しなくては検査だって受けられないような気がした。 自分が原因で子供が出来ないと分かった時、それまでと同じよう に二人で暮らして行くことができるのだろうか。 わたしは、強烈に子供が欲しい、どうしても子供なしでは嫌だと いうことはなかったけれど、それでも申し訳ないという気持ちは ずっと拭いきれないで暮らして行くのだと思っていた。
わたしが、どちらのせいだとか、そういうところを曖昧のままに しておきたかったのは、たぶんその覚悟が出来ていなかったから。 することはしてるんだけど、できないものはしょうがないよね、 という空気で暮らして行こうと思っていたから。
そうだ、妊娠するまでは。 必死に不妊治療をしている人達を、複雑な気持ちで見ていた自分 が、いざ妊娠した途端に、やっぱり子供はいないとね、などとは 決して言えないのだ。 子供が出来たからと言って、それまでの複雑な気持ちが消えてし まうわけではないから。
夫の実家に対する意地もあった。 年をとった嫁では、跡継ぎが出来ないから駄目だと言われたこと や、遅くに子供が産まれると子供が大人にならないうちに死んで しまう確率が高くなって、子供がかわいそうだと言われたことと か、そんなことに反発する気持ちがあったことも確かだった。 夫の母親は、その年代の人にしては比較的遅めの子供だったらし く、夫が高校生の時に癌で亡くなった。 夫の実家(親戚)では、そのことを引き合いに出したのだった。
そういった事柄を、やっと自分中から払いのけた途端に妊娠した のだから、言い方は悪いが、拍子抜けした感じだった。
夫は、わたしの子供だから欲しいのだと言った。 夫は、わたしに似た子供が産まれるから欲しいのだと言った。 わたしは、夫の子供なら産めると思っていた。 わたしは、夫に似てくれるならと思って産めると思った。 自分の気持ちだけを通すのならば、夫の遺伝子が伝わっていれば いいことになるのだが、夫の気持ちを考えると、それはわたしの 子供でなければならないらしい。
それにしても、不妊治療の費用は大きすぎると思う。 不妊治療を、もっと安くできるとしたら、子供がもっと産まれる のではないかと思ったりもするのだが、どうだろうか。
妊娠するのは自然なことなのだろうが、自然妊娠とあえて言わな くてはならないような、そんな時代に生きている。
不妊治療の番組や話題を目にする時は、未だに複雑な気持ち。
「授かり物」そんな言葉を使いながら義務だと責める人の多さよ (市屋千鶴)
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