午前中、従姉からの荷物が届いた。 新生児用の衣類と、大きめのバスタオル。 箱を開けて、一つ一つを手に取ってみると、その小ささやかわい らしさに思わず笑みがこぼれてしまう。 肌着はもう十分に揃った感じ。 ベビードレスも何枚か有って、ほとんど買い足さなくてもいいく らいである。 少し大きくなってから着られるものも入っていて、従姉のところ は二人とも女の子なのに、なんだか男の子っぽい服があったこと に少し驚いた。選んで送ってくれたのだろうけれど。 送られてきた衣類を見ながら、こんなに小さいものを着る赤ちゃ んがわたしのように大きく育つのだと思うと、まったく不思議な ものだと思った。
やりたいことを制限されることは、少なからずストレスになるの だが、周囲の目が優しいということを感じるのは悪くない。 しかし、自分自身は、妊婦さんやママさんに対して、なるべく関 心を持たないようにしてきたようなところが有り、わたしがして もらっているように優しく接していたのだろうかと思ってしまう。
自分にはなり得ないものだと思っていた母親という存在への強い 嫉妬がそうさせていたのだろうか。 妊婦であることを体験し、母親であることをこれから経験してい くということを考えると、経験者は優しくなれるのだろうなと思 うのだった。
朝、目が覚めると、必ずお腹をさすって妊娠していることを確認 してしまう。毎朝のことだ。 いつまでたっても、目が覚めると妊娠していなかったりするので はないかと思ってしまうのだ。 お腹をさすって、お腹が大きいことを確認し、もぐちゃんの位置 を探したりして、妊娠していることを確信するのだ。 これは、不安なのか、安堵なのか。
目覚めには胎児の位置を確認し夢ではないと安堵する日々(市屋千鶴)
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