鶴は千年、生活下手

2003年10月07日(火) 妥協する方言

昨日の歌の「」の中の意味は、
「まだ家に戻っていないようだったら、かあちゃんを迎えに行っ
 てきなさいよ。」
である。

ひらがなで書くと、やたらとわかりにくくなるものだ。
山形県をこよなく愛する人達のサイト「ヤマガタン」のなかに、
「んだんだ方言掲示板」というものがあって、そこでは山形弁以
外の言葉は原則使用禁止なのである。
同じ県内でも異なる方言と、方言を文字表示することの難しさに、
初めはかなり困惑したものだった。
ポイントは、どこで区切るのかをはっきりさせることだったが。
そこでも、山形県尾花沢市というのは珍しい存在で、言葉自体も
他のメンバーには不思議なニュアンスを与えるらしい。

一般に「ズーズー弁」と呼ばれる方言の特徴をみごとに備えてい
るというかなんというか。
語尾に「ずぅ」がついたり、「ずねゃぁ」がついたりする。
「ずねゃぁ」は、東京育ちの義兄には「にゃー」と聞こえるらし
いのだが、わたしの母に子守りをされていた姪は、正確に発音す
ることができる。
義兄は少しだけ音痴でも有り、やっぱり耳は大事だ。(笑)
聞こえる聞こえないではなく、わかるわからないの耳である。
正確に音を再生することができるということは、正確に聞いたも
のを認識できるということだから。

もぐちゃんは、きっと自分のことを「わし」と言うに違いないと、
夫もわたしも確信しているのだが、それは二人とも自分のことを
「わし」と言うから。
一口欲しいという時は、「わしにもくれ。」と言う。
自分の分がないときは、「わしの分はぁ?」と言う。
これは明らかに夫の影響だ。
尾花沢弁では「わし」とは言わない。
男女を問わず「おれ」である。
もっとも、最近では女性はわたしと言うようになっているが。
「おれさもけろ。」「おれの分はぁ?」となる。

この二日ばかり言葉のことを考えている。
もぐちゃんが、公の場に出るようになった時、訛ってますよと言
われたら、わたしはどう応じるのだろうか。
訛ってたってかまわない、というのがもうすぐ44歳になろうと
しているわたしの気持ちである。
失われつつ有る方言に、懐かしさと物悲しさを感じるようになっ
てきているのだろう。
わたしの小学校時代は、「汚い言葉遣いをしないように」という
目標を掲げ、「おれ」「おまえ」「うさ」「われ」、などの呼び
方を禁じたものだった。
「おまえ」は汚い言葉遣いではなくて、相手を敬う言葉だったは
ずなのに。「御前」から来ているのだものね。
最近では、テレビの影響も強く、わたしの方言はもう古いと言わ
れてしまう。
他の土地に住む人にもわかるように話さなければならないのか。
お年寄りが話すような方言ではなく、妥協した方言を皆が話すよ
うになっていってしまうのか。

地方の色は失われつつ有るのか。
一番いいのは、使い分けができることなんだけどなぁ。

 思い出と直結している方言は帰る家なき我のふるさと(市屋千鶴) 


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