先月に、こちらの日記で著作を触れた方が偶然、 そのご本人様やゆかりの方が、 鬼籍に入られてゆくことが続き、 なんとも云えない思いがいたします。
そうした方々は、逝かれることで、 惜しむ心を、 いのちの大切さ、時間の大切さを、 残る私たちに教えてくださっているのかも知れません…
最近は、亡くなった方々のご著書を読むことが 多いせいでしょうか、
「命が千年あったらしてもいいという程度のことは、 あえて我慢することも覚えよう。
今日が自分の最後の一日かも知れないのだから…」 そういうことを、考えるようになりました。
私信(とりいそぎ御礼):
> 3/5にメールをくださいましたS様v
先日は、大変お忙しいところを、 あたたかいご丁寧なメールをいただきましてありがとうございました。 茨木さんの件、ショックでございました… そしてかの方の歌に、そんな風に、 拙宅の友雅と幸鷹を重ねていただけたとのこと、 とても嬉しかったです。 私もそちらの歌を、聴いてみようと思います。 > 3/7にお便りをくださいましたS様v
本日は春の香りのお便りとコピーをありがとうございました。 問題集にございました向田さんのそちらの作品、 私も短編集で読んで涙ぐんでおりました…
そして大変美しいお葉書のそちらは(感激です…!)、 確かに友則の歌ですね。 拝見しましたところ、
寛平御時后宮歌合に
せみの声聞けばかなしな夏ごろも 薄くや人のならんと思へば
でないかと思われました。 蝉の声を聴くと悲しい
夏が来れば やがて秋が 想いに飽き(秋)が来るのだと思うと
夏の衣のよう 薄くなるのだと思うと悲しい
意訳しますと、そのような感じになるでしょうか。
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