「隙 間」

2012年08月01日(水) 「おおかみこどもの雨と雪」と遠吠え

「おおかみこどもの雨と雪」

をTOHOシネマズ有楽座にて。

平日の映画サービスデー。
当たり前の残業を早く切りあげて、

「悪いのはわたしではない。今日が一日なのがいけないのだ」

と言い捨て、わたしは会社を出てきたのである。

「時をかける少女」「サマーウォーズ」で日本アニメ映画界の代表者のひとりになった細田守監督の作品で、かなり期待値は高かったのである。



おおかみおとことの間にできた子どもふたりを抱え、シングルマザーとなった花が懸命に子育てをしてゆく。

姉の雪、弟の雨。

まだ里山の残る田舎に引っ越し、自在におおかみに変身してしまう姉弟を見守りながら母親の花は三人だけの暮らしを精一杯に送っていた。

姉弟がもう立派な小学生になったある日、嵐が町を襲う。

その日、三人は重大な決断を、それぞれが選ぶ。



勝手に期待してハードルを高くしていたが、どうやらそのハードルの下をくぐってしまったような、残念な印象であった。

友との電話で、そんなに期待していたらよくないかもしれない、という話を聞かされたのは記憶にあったのである。

まず、「見せ場」が、まったくわからない。

おおかみおとことの出会いから、雪と雨が生まれて、おおかみおとこが亡くなってしまい、人目を避けるために都内から田舎に引っ越して。

そこに、クスリとさせてくれる場面があれども、ただひたすら「長い」「余分」な印象。

そして、田舎の暮らしで懸命に、周囲の皆に助けてもらいながらの日々。

おそらく「人々との絆ある暮らし」を伝えたいのだろうが、そのインパクトがない。

小学生になった雪は、はじめて女の子として人の社会で暮らしはじめ、人間として生きてゆこうとする。
弟の雨は野生の本能に目覚め、山の世界へとはまりはじめ、人の世界に背を向けようとしはじめる。

そのそれぞれの「きっかけ」が、弱すぎる。
理由として伝わらない。
いや、理由などなく、人間とおおかみの本能が敢えてあげるなら理由なのだ、ということなのか。

そして、母親の花の決断。

「それぞれの夢をかなえられる子どもに育ってくれるまで見守ろう」

おおかみおとこと描いていた将来と約束。

とはいっても、その決断は、きれいすぎる。
感情が、なさすぎる。
大いに、納得できない。

そして何よりも。

花の声をやった宮崎あおいが、宮崎あおいなのである。

しかも、土日のドキュメンタリー番組のナレーションの宮崎あおい。

素朴で、物語の邪魔を決してしない、しかしたしかにそこに語っている「宮崎あおい」がいる宮崎あおいの声なのである。

わたしは宮崎あおいが好きである。
しかし、それとこれは別である。

終演後、シャンテ前広場にポツリと立つ「ゴジラ」の像を見上げる。

まん丸のお月さまが、まぶしいくらいに輝いていた。

「ガオォォォー!!」

ゴジラはわたしに答えず、沈黙のまま月下にたたずんだままであった。


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