「隙 間」

2012年08月03日(金) 「宵山万華鏡」

森見登美彦著「宵山万華鏡」

京都を舞台に繰り広げられる妙チクリンな物語。
今回は祇園祭の「宵山」が選ばれた。

ああ。
京都のよくしてくれたお上さんから宴席のお誘いがきていたのに、前歯が片方不安な状態でゆくわけにもゆかず、御返事も出さぬままになってしまっている。

四国のお遍路から、詫びの絵手紙でも送らさせてもらって許していただくことにしやう。

さて本題。

やはり森見ワールド健在である。

連作短編の体裁をとり、宵山での出来事をそこに関わった登場人物たちそれぞれの物語を描いている。

理不尽で妙チクリンな話があれば、妙チクリンだが神妙な話もある。

ああ。

手配を済ませていなかったら、四国の帰りにまた京都へ寄らせてもらいたかった気持ちでいっぱいである。

とある筋から得た情報だが、「行ってみたい縁結びの御利益がありそうな神社」というものがあった。

出雲大社
東京大神宮
地主神社
熊野速玉大社
今戸神社
神田明神

なんだ、行ったことがあるところばかりじゃあないか。

八坂神社
貴船神社

ううむ。
ここはやはり、京都参りを考えなければならないようである。

「竹さんて、古事記とか読んだりしたこととかあるんですか?」

職場のハチマキが、不意に訊いてきたのである。

これは珍しい。
よもやこんな職場でそちらの関係の言葉と出会すとは思いもしなかった。

古事記も日本書紀もあるが、日本書紀の方はほとんど記憶にない。
しかし古事記だって、神の名前をスラスラ言えたりするほどの記憶は残ってないが。

「興味が湧いたか?」

ズイとハチマキに顔を突き出して訊き返す。

いや、そうではないんですが。竹さんは読んだりしたこととかあるのかなあ、と。

答えになっていない。

興味が湧くような出来事にでも出会したかと訊いているのである。

ちなみにハチマキは、イタリアに建築留学がしたい、とイタリア語を習い始めた男である。

いいか、アマテラスとツクヨミとスサノオは、両目と鼻からだぞ。
しかもツクヨミは、バランスをとるために後から付け足されたという説があってだなあ。

「どうしてそんなに詳しいんですか」
「だてに神田明神へ月参り同然で訪ねてないさ」

そんなに、何をしにいってるんですか?

なかなか、核心をついた質問である。
ならば、真摯に答えよう。

「妄想を垂れ流しに、だ」

ぽかん、と絵に描いたような口の開けようである。

そんなに願いを頼むようなこともないし、あちらさんもとうに聞き飽きたに違いないだろう。
それに、神は「願いを叶えてもらう」ための存在なんかではない。

「おっ、言いますね」

叶えてくれるなら、とっくのとうに叶っているはずであるからな。

「なんだか説得力があるように聞こえますね」

えい、余計なお世話である。

叶えてもらうのではなく、叶えるのである。

実感がわかないまま叶うものなど、みずものである。
見ずモノである。
どうせならば、見ながら味わいながら叶えようとしたいではないか。

はあ、とわたしを見てハチマキがひと言いったのである。

「わかりますけど、なんか、いちいちメンドクサイですね」


 < 過去  INDEX  未来 >


竹 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加