Leonna's Anahori Journal
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2003年10月11日(土) ファンホ・ドミンゲス

午後までいつもどおり横浜。
夕方、東京駅でオットと待ち合わせて、中野ゼロホール、ファンホ・ドミンゲスのコンサートへ。

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ドミンゲスはアルゼンチンが生んだスパニッシュギターの超名手と呼ばれているひとだ。プロフィールには5歳ではじめてギターを手にし12歳の若さで音楽教授の資格を取ったとある。この間の事情は良くわからないのだけれど、尋常ではない。要するに“天才少年”だったということなのだろう。

面白いのは彼が、南米にいながらたった一人、独学でギターを極めたということで、だからいわゆるギターテクニックの“常識”とは無縁である(と紹介されている)こと。
この点について資料には「普通のトレモロはもちろん、フォルテにいたると3弦同時のトレモロテクニックで弾き込んでゆく」などと書かれている。ギターを弾かない私にはイマイチ良くわからないのだが、恐らくこの“3弦同時”というのがすんごい超絶テクなのだろう。

たしかに、ドミンゲスの演奏を目の当たりにすると、あのオッサンの指は一体どうなっちゃっているんだろう?と思う。モニターに大写しになった彼の指の動きを見ているだけでも退屈しない。そうしているうちにも、なるほど名手の前に“超”がつくわけだわいと納得させられてしまう。

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途中15分の休憩をはさんでの二部構成。
第一部で面白かったのはショパン・メドレーで、こんなショパンありなのかと、思わずのけぞってしまった。破壊行為ギリギリ一歩手前の革新的演奏。

またカプリーチョ・アラベ(アラブ奇想曲)も、アルゼンチン風とでも名付けるしかない斬新なアレンジで、私がいつも聴いているアンドレス・セゴビア(スパニッシュギター巨匠中の巨匠。87年没)の、とろけるように芳醇な演奏とはまるで趣が異なっていた。一瞬同じ曲かと疑ったくらい。

かつてナルシソ・イエペスは「ギターの流派はセゴビアで終わり、ドミンゲスで新たに始まる」と言ったそうだが、たしかにこの二人は、二人とも紛れもないマエストロでありながら、まるで違った位相にあることだけは間違いないようだ。

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楽しかったのは第二部で、ゲストの小松亮太(バンドネオン)と近藤久美子(ヴァイオリン)をゲストに迎えての演奏。二つの楽器、特にバンドネオンが入ることで雰囲気はガラリと変わって、中野での演奏会からブエノスアイレス、夜のライヴハウス風に。

小松亮太によればこの日の演奏は完全なぶっつけ本番のライブセッションで、事前に決めてあったのは曲目だけとのこと。小松曰く「いまの曲も予定より1分半くらい長くなってしまいました」。お互いの目と目を見交わし、ときに小さく頷きあいながらの演奏には聴いている方もおおいに盛り上がった。

このライヴ感、演奏者と聴衆の距離の近さ、そして少しの俗っぽさ(猥雑さ)。このあたりの要素がドミンゲスの超絶技巧と解け合ったしたときこそ、この南米アルゼンチンのギタリストが最も輝くときなのではあるまいか。そんな風にも思う。

もうひとり、第一部でも歌った歌手バネッサ・キロスがステージに花を添えた。典型的なラテン女の美しさを持った彼女は、以前ハイビジョンスペシャルでもドミンゲスと共演していた女性だ。

そのバネッサ・キロスがアンコールで歌った「のっぽの古時計」には驚いた。カンペなし、完璧な日本語でフルコーラス。すごいプロ根性だと思う。どう考えても日本人向けのサービスなのだけれど、にもかかわらずワタクシ、聴きながら涙ぐんでしまった。人間の声って(歌って)とんでもないパワーがあるんだなーなどと思いながら、ハンカチでみしみしと目頭を押さえた。

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そんなこんなで、最終的には大盛り上がりのコンサートになったのだった。
アンコール二回とスタンディングオベーション。ムンムンのラテン美女(バネッサ)に花束を渡すオジサマ、感激のあまり次々にマエストロに駆け寄って握手を求めるオバサマたち。そのたびに会場はあたたかい笑いに包まれた。

そんな会場の雰囲気におおいに気をよくしたのか、予定になかった独奏まで披露して「ワシこんなのも出来ちゃうんだもんね」的表情をみせるマエストロ、ドミンゲス。上機嫌(笑)。私もほんとエガッタ、楽しかったー。



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