Leonna's Anahori Journal
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2003年10月03日(金) ピースフル・トゥモローズ

夜。

NHKハイビジョンスペシャルで『ピースフル・トゥモローズ〜9・11テロ 戦争反対を訴えた遺族たち〜』という番組をみる。

見終わってから調べてみたら、このドキュメンタリーが最初に放送されたのは昨年11月で、今年になってから放送文化基金賞のドキュメンタリー部門本賞を受賞した番組であることがわかった。(→詳しくはこちら

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911テロ後、米国内では自由に言いたいことも言えない雰囲気であるということは何度か聞かされていた。いくつか具体的な話も読んだ。しかし話だけでは、その場の雰囲気というのはわからないし、“噂”がどの程度本当なのかということも気になっていた。

このドキュメンタリーをみて、911テロで家族を失った遺族の反戦活動に対する風当たりの強さに驚いた。とにかく、テロリスト(=フセインとイラク)は叩きつぶさなければならない。それに反対するとは何事であるか。非国民、国から出て行けと言われてしまうのである。

創設者のひとりである女性(テロで夫を亡くした)は、批判の域を超えた嫌がらせに屈してピースフル・トゥモローズの活動(主に講演)をやめざるを得なくなってしまう。保守的な町の中で完全に村八分にされてしまったのだ。自分一人ならばまだしも、女手ひとつで子供を育てていくためには仕方がない。彼女は活動を断念する。

会の中心メンバーのひとりで講演活動を行っている男性は、メジャーなニュース番組に請われて出演するが、イラク攻撃に異を唱えた途端に口を封じられる。生番組を仕切るメインキャスターの慌てっぷりが、生々しく、滑稽だった。

インターネット、掲示板上での批判は推してしるべし(笑)。とにかく、憎しみの嵐。負のパワー全開。黒さ横溢。しかしまた、そこからコミュニケーションの可能性が生じるのもインターネットなのである。メールによる長く激しい応酬の末にお互いを理解するに至る非戦派(兄をテロで亡くした)と一投稿者とのコミュニケーションには、か細いけれども確かな光りがあった。

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私は米国のイラク攻撃に関して、このジャーナルでも“反米”と取られかねないような批判的なことを書いてきたが、書きながらいつも苦しかった。

米国のどこかに、米国人として(当事者として)米国の現政権のやり方に異を唱えるフツーの人がいるはずなのだ。チョムスキーやバーバラ・リーのような“著名人”ではなく、無名だけれども、ただ人間としての原則を曲げたくないという理由(私と同じ理由)からイラク攻撃に反対している人が。

でも、その人達の顔が見えてこない。その存在を感じることが出来ない。このまま自分の理屈に拘泥していったならば、私は私の意に反して、本当の反米主義者になってしまうのではないか、そういう危機感が常にあった。

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そういう私であったから、このドキュメンタリーを吸い付くようにしてみたことは言うまでもない。

観ながら、「やっぱりこの人達はいったんコミットしたらやり抜くんだ。」と思った。こういった活動に相対する姿勢には、さすが一日の長、ぽっと出の日本人には真似できないものがある。どのひともシンプルで、知的で、我慢強く、寛大だった。

ちなみにそれらは、どれも私に欠けているものばかりで、私が、どこかかたくなで“自由でない感じ”がする(自分でそう感じる)のは、このせいだったのかと思い至った。

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ピースフル・トゥモローのメンバーは昨年来日して、広島を訪れたらしい。そのときのスピーチの和訳があったのでリンクをはっておく。

アフガン、イラク、ヒロシマ、パレスティナ。「集団的暴力は、嘆かわしい、しかし必要な悪」と思いみなしていた個人が911テロをきっかけに考えを変える、その過程がリアルで共感を持った。
 
 
 
 


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