Leonna's Anahori Journal
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2003年03月30日(日) アーヴィング

きのう、横浜の父の家へ向かう電車の中で「ホテル・ニューハンプシャー」の上巻を読み終わり、鞄へ放り込んできた下巻にブックカバーをかけかえた。

上巻の終盤から物語りは大きなうねりを見せ始め、強烈なソロー(悲しみの意。この物語の中では一家の飼い犬の名前でもある)の予感を孕みつつ前進している。

この物語を読んでいて感じるのは、人間は善人であれ悪人であれ、多かれ少なかれ誰しもがグロテスクな存在であるということだ。
もちろん、愛すべき滑稽さだとか、吐き気のするような冷酷さであるとか、グロテスクの内容にもいろいろあるのだが、グロテスクであることは正常な人間の属性のひとつであってグロテスクであることを恐れていては人間、やっていかれないのではないだろうか。

アーヴィングの小説を読んでいると「グロテスク?それがどうしたの?」という気になる。小さなパラダイ・ムシフト(価値観の変化)がすでにおきている。これすなわち書き手であるアーヴィングの筆力の証だと思うのだが、どうだろう。






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